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ポートレイツ・オブ・ホープ
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昨日、川崎の市民ミュージアムで催されているハービー山口の写真展「ポートレイツ・オブ・ホープ」を
見に行ってきた。

ハービー山口の写真をはじめて見たのはいつのことだっただろう。雑誌か何かでジョー・ストラマーの
写真を見たのがきっと最初だったのだと思う。
ロンドンの地下鉄で撮られた1枚。あまりの写真のストレートさ ―― 写真そのものというより、ジョー・
ストラマーそのものが写っているという意味でのストレートさに、飽きずに繰り返しクラッシュを聞き続けて
いた僕は少なからず驚いた。衝撃だったと言っても良いのかもしれない。
以来、他の写真も目にとまるようになり、階調の美しさ、的確なピント、優しい写真の数々に「良い写真だ
なあ」と何度となく思った。

昨日は久しぶりにハービー氏の見たのだけれど、不思議なことに以前感じていた「良い写真だなあ」という
嘆息混じりの感覚はきれいになくなっていた。特に「静かなシャッター」と題されたポートレートが並ぶ第1部、
第3部の「代官山17番地」には居心地の悪さすら感じた。

僕は、写真は被写体との距離感を表してしまうものだと思っている。
自分の撮ったものを見ている分には構わないのだが、家族でも恋人でも友人でもない他人を撮るときに、
あまりにその距離感が近い写真を見ると、僕はどうにも落ち着かなくなってしまうのだ。

逆に、ベルリンの壁が崩壊する1989年の東欧を撮った写真、若い頃に渡ったロンドンでの写真には、
やはり変わらず惹かれるものがあった。
日本で撮られた写真と比べると、東欧・ロンドンで撮られた写真は踏み込もうとしてもどうしても越えられない
ラインのような、ヴェールのようなものがあるように感じたのだ。

言うまでもなく、これは個人的な好みの問題なのだが、僕は被写体に過度にコミットしたり、許容したり、
逆に撮り手自身と写真を撮るという行為自体を受け入れられて撮られたものよりも、どれだけ望んでも
どこか踏み越えられない「他者」であることを感じる写真の方に、僕は惹かれるのだと思う。
それは受け入れられることが少ない僕の個人的な資質を無意識のうちに恥じていたり、自己正当化する
行為なのかもしれない。
いずれにしてもハービー氏のような写真を僕のような人間が撮れるわけもない。
それを承知の上で言うなら、僕もジョー・ストラマーにカメラを向けて見たかった。
「撮りたいものはすべて撮るんだ、それがパンクだ」と言ってもらいたかった。

結局、僕はいまもジョー・ストラマーに憧れているだけなのかもしれない。
10代の頃と同じように。
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by ash1kg | 2009-06-26 13:13 | 写真日記
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