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歌舞伎座を撮る人/カメラの意味
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頼まれた買い物をしつつ、先月末でその役目を終えた歌舞伎座の前を通ってみた。
建て替えに入るために興行を終えた歌舞伎座の前は、ゴールデンウィークを使って歌舞伎座を
観に来た人たちで埋まっていた。

言うまでもなく歌舞伎は舞台での芸事を観るものだ。
にも関わらず、芸が披露される舞台ではなく、その建物を観る(撮る)人たちで混雑する様子を
眺めながら、役者や演目と建物が同化・同一視されるようになるのだから、時間の積み重ねと
いうのは実に面白いと感じた。

かつて、僕は数度、同じような感覚に陥ったことがある。
1度目はかつての後楽園球場が解体されるとき、2度目は高校の校舎が建て替えられると知った
時である。前者は「あの長嶋や王がプレーした場所がなくなる…」という思いであって、後者は自らの
記憶が留まるべき場所が形を変えてしまうという喪失感だった。

やがて喪失するモノを保存しようとする本能なのか、人は失われていくものに ―― そこに何らかの
思い入れがあるという仮定でだが ―― カメラを向ける。
写真という行為の一端は記憶という不可視の状態ではなく、可視化した状態を維持することに結び
ついていると思うのだけれど、歌舞伎座の前で写真を撮る人たちの多くの手には携帯があった。
すなわち、写真が記録性に殉ずるのであればカメラには何の意味もないということだ。

帰宅して部屋の中を眺め、さして高価でもないカメラ達を眺めながら、カメラに拘ることの意味の無さ
―― 何らかの言い訳抜きに存在できないカメラの意義の低さに、思わずシニカルな笑みを浮かべて
しまったのだった。
by ash1kg | 2010-05-04 01:12 | 写真日記
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影と光、記憶と個人的な記録
by ash1kg
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