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二人のサーファーと缶ビール
医者に止められてしまって以降、僕は習慣的に酒を呑むことはなくなってしまったが、いまでもときおり、ほんの
少しだけ呑むことがある。
アルコール全般に要注意と言われている上に、ビールやワインの類の醸造酒には厳重注意と言われているので、
少量のバーボンかラムなどの蒸留酒を舐めるように飲む程度なのだが。

漱石的に言うなら幾分「高等遊民」的だった高校の仲間内では、正体をなくすまで酔っぱらうことは人として最低の
ことだと考えられていた。
飲みに行っても誰かが自分のグラスに酒を注ぐことはない代わりに、自分の飲む量は自分で決める責任があった。
一緒にいる中で潰れるまで呑むのも自由だったが、その報いは当然のように自分に返ってくる。
財布は抜き取られてその店の支払いに費やされ、残った金も仲間達の飲み食いで胡散霧消した。
店を出てしまえば、嘔吐しようが、電柱に寄りかかって眠ってしまおうが ―― それが冬であっても ―― 僕らは
平気で置き去りにした。誰が呑ませたわけでもなく、潰れるまで呑んだ自分が悪い。それだけのことだ。
当時は一晩でウィスキーのボトルが空になるぐらい呑んだこともあったけれど、どこかで自制心を持ったまま
呑んでいた気がする。
そして、その感覚は今でも僕の中にしっかりと残っている。

僕の祖父は実に美しい酒の飲み方をする人だったけれど ―― 当然だが、僕が知っているのは祖父の晩年の
姿だけで、祖母に聞くと若い頃は酷いものだったらしい ―― 父は日本人の典型のように醜い飲み方をする。
程度を知らず、酔うことが目的であるような呑み方をするのだ。
父に限らず、多くの日本人(特にサラリーマンや学生)の呑み方はえげつなく、センスがなく、美しくないと思う。

昔、ハワイに行ったとき、波が立つのを待っているサーファーと知り合いになったことがあった。
ハワイ大学の学生だという彼らは、クァーズのロング缶を挟んで座り、波が立つのを待っていた。
彼らは僕に同じようにクァーズを差し出し、ろくに英語もできない僕に丁寧にハワイがいかに良い場所かを滔々と
語ってくれた。
僕がいた1時間ほどの間に、すでにプルトップが抜かれていたクァーズが空になることはなかった。
「別に酔っぱらうために呑んでるわけじゃないからね」というようなことを彼らは言った(のだと思う)。
彼らの呑み方は僕が読んだ片岡義男の小説に出てくるサーファーの呑み方そのものだった。

日本人にすれば「そんなみみっちい呑み方は嫌だ」とか「気が抜けちゃって不味くなる」とか「そんな呑み方が
できるのは薄いアメリカンビールだからだ」とか「そもそもあの薄いビールはビールじゃない」とか、この話を
する度にいろんな「意見」を聞いてきたが、僕は今でも彼らのゆったりとした呑み方は、「まずはビール」的な
呑み方の何倍も美しかったと、今でも思っている。
夏の遠慮知らずの暑さで満たされた稲村ヶ崎の狭いビーチで、僕は美味しそうにビールを噛みしめていた
サーファーの姿を思い出していた。



二人のサーファーと缶ビール_c0123210_0485316.jpg


由比ヶ浜 2010.6.23


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僕がたまに呑むのはブラントンをソーダで割ったもの。
昔、エンシェント・エイジの蒸留所で働いていた日本人の方と知り合い、
バーボンのテイスティングはソーダで割るというのを教えてもらって以来、
ずっとこの呑み方だ。
「天ぷらは塩で食べると味がわかるというのと同じだよ」とその方は仰っていた。
by ash1kg | 2010-07-27 00:59 | 写真日記
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影と光、記憶と個人的な記録
by ash1kg
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