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江ノ島にはもうずいぶん通っている。 撮影のために出かけることを可能な限り拒否する僕にしては珍しく、江ノ島は喰うついでではなく、写真と飲み食いがバランス良く併存している場所である。 夜になってから写真のデータをぼんやり眺めていて、江ノ島の写真がずいぶん溜まっていることに気付いた。 量が積み重なった写真を見返すと、自分が歩く場所のクセというか、パターンが垣間見えて面白い。 江ノ島は単純に好きな場所だし、これを撮ろうというようなロケーション優先で歩き回るわけではないので、当然のことながら写真に残る場所や光景は似通っている。写真の量の濃淡が自分そのものを良く表しているようで、そのあまりのワンパターンさを面白く感じたり、呆れもしたりで、見返す作業は実に愉しいものだった。 ふと、年内にあと2~3度出かけたら、一度本にまとめるのもいいかもしれないと思った。 一つの区切りのように大好きな江ノ島で1冊の本を作る。悪いアイデアではない。 分量も100ページぐらいのモノならそれほどの苦労もなく作れるだろう。 だが問題が一つある。それは立ち位置だ。 写真集を作ることはできる。表面的にはスムーズに流れる本にすることもきっとできるだろう。 そうは思ったのもつかの間、果たしてそうして作った本は何を指し示すのだろうという疑問が浮かんで、アイデアが急にしぼんでしまった。 今のままでもおそらくは本の体裁を整えることは可能だと思う。 だがそれはどう見ても出来の悪いガイドブックまがいのシロモノになるように思うのだ。 それは江ノ島とその周辺のもろもろのモノやコトについて、僕自身がどのように考えているのか、スタンスとか関係性というようなものが曖昧のままだからなのだろうと思う。 そこがはっきりしないままでは下地も整えないまま壁紙だけを貼り替えたような上っ面だけのきれいさに留まるだろうし、それは見る人にも間違いなく見抜かれるものになるだろう。 僕は写真を綴ることでさらけ出される自分自身というモノにそれほど抵抗はない。 自分のモノにしても自分以外のモノにしても、そういう言わば本音のようなモノが隠し立てせず露骨に、ストレートにでているモノの方が好きでもある。 だがさらけ出す何かが自分でわかっていない今の状態では、磁場が狂った方位磁石のような混乱したものにしかならない。それはかなり嫌なことなのだ。 だが、江ノ島で1冊作るというアイデアは捨てる気がしない。先延ばしする気もない。 とりあえず年内にもう数回、江ノ島に足を運び、じっくりと向かい合ってみるつもりでいる。 本当のことを言えば自分の内面と向かい合うには十分な量の写真があるのだから、ここでじっと腕を組んで考えれば良いのだけれど、やはりその場に入り込むことでしか思い浮かばないこともきっとあるはず。 東海岸の防潮堤に座り込み、江ノ島ビールの空き瓶を並べながら秋の柔らかい陽射しに当たれば、きっと何か思い浮かぶはずだ。 こんなに楽しい考え事もなかなかあるまい。
by ash1kg
| 2011-10-18 01:05
| 写真日記
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