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キャプションの妙
キャプションの妙_c0123210_20594116.jpg


今日は午前中から港の見える丘公園にある山手111番館に出かけ、昼ビール仲間のKawamutsuさんが参加している「『1』に纏わる写真展」(で良いのかな?)を見てきた。

Kawamutsuさんの3点の写真の中に2005年の横浜トリエンナーレに出展されたコンテナの巨大なオブジェの写真があった。
展示室の中には写真のタイトルとキャプションが書かれたフライヤーがあって、そのキャプションを読んで僕は思わず「ほぉ」と呟いてしまった。
キャプションは写真を元にして作られたそうだけれど、展示する土地、場所、テーマ、すべてに合致していて、なおかつ写真にある意味付けというか、方向を与えている見事なものだった(ヨイショでもなんでもなく)。

写真は「見る側に委ねる」という考え方がある。
それはそれで一つの見識だと思う。
作る側に確固たる何かがあるならば、見る側と自分とを切り離して、写真を委ねるのも良いと思う。
「そんなものないよ」と予め言ってくれるなら、それもOKだ。僕は安心して写真の造形的な美しさを楽しむことができる。
しかし、困ったことに確固たるものがなくても委ねることはできてしまうのだ。

実際には真意があるのか、表面だけを見れば良いのかが判らないことがほとんどだ。
好きなように見れば良いというご意見があるのは判っているが、僕はどうしてこの写真を撮り、選び、他者の目にさらけ出すことにしたのか、それを知りたい。そして作り手の真意と自分の受け止めを比較し、その差異を知りたいのだ。
であれば自分だけ好きに見ているわけにもいかない。

どんなに意味ありげなタイトルが付いていたとしても無条件に信用できないことを僕は知っている。
その1点において僕は自分の写真を見る側の自由に委ねることはしたくないし、それどころか徹底的にディレクションし、サジェスチョンし、自分が写真に込めた意味に向けて狭い回廊を回るがごとく、否応なく辿り着くようにしたいと思っている。
それでも人は自由に考え、受け止め、自分が理解できるように理解する。
そういうものだろう。だから面白いのだ、きっと。

Kawamutsuさんのキャプションと写真とから醸成されるイメージに惹かれたのは僕個人の趣味嗜好であって、普遍的なものではない。
だが、今日はないものを懸命に意味を探すような滑稽さに怯えることもなく、僕は安心して写真を堪能することができた。安心感が加わり、なんとも心地良いものになったのだと思う。

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瀟洒な洋館で写真を架けるとなると、当然のことながら写真の方も選ばれるわけで、要するに僕のような写真にはとんと縁がない場所であった。
でも、ちょっと非日常的な場所に写真があるというのも良いものである。特に天気の良い午後などは。

(僕なら3日経っただけで油がべっとり張り付くような場末の中華料理屋あたりがお似合いだろう、きっと)
by ash1kg | 2011-11-21 23:03 | 写真日記
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影と光、記憶と個人的な記録
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