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歌声については昔からダミ声に惹かれるタチである。 聞けば透き通るような声も良いなあと思うのだが、それはなんというか聴覚的な部分に留まるハナシで、魂を鷲づかみにされて揺さぶられるような気持ちになるのは、間違いなくダミ声ばかりである。 キース・リチャーズしかり、トム・ウェイツしかり、ベット・ミドラーしかり。 無理やり写真に結びつけるわけではないけれど、僕の個人的な好みとして整っていて ―― 構図にせよピントにせよ、色合いにせよ ―― 多くの人が「良いよね」と感じる写真よりも、どこか破綻している構図や、ブレや動きのある写真、粒子の粗さなどに惹かれるのは、僕がダミ声を好むのとあながち無関係ではないと思う。 そもそも美しさの基準なんて時代時代で右顧左眄してきたモノだし、王道なんてありそうでないものだし、人の価値観や下手をすれば値札の桁数 ―― そうすることができる一部の人間の思惑 ―― でいくらでも操作できそうでもあるし、一見キレイに見えるモノだけが美しいというようなものではない。もっと曖昧で幅が広いモノなのだと思う。神は細部に宿ると言ってみたり、美は破綻にアリと言ってみたり、そもそもが曖昧なのだ。 そういう中で僕は整合より破綻、整然より混沌を好むということなのだと思う。 先日、NHKで重松清氏の原作の「とんび」というドラマをやっていて、僕はそれを見ながら号泣していたのだけれど(僕だってドラマを見て号泣するぐらいのことはできるのです・笑)、ドラマのエンディングテーマを唄っている声がものすごく琴線に響くというか、一瞬で持って行かれるような気持ちになった。 調べてみると「踊ろうマチルダ」という一風変わった名前で活動しているミュージシャンで、You Tubeで彼の唄っているのを聴いて、ああやっぱり取って付けたような上っ面のキレイさにはこういう「歌」は唄えないよなあと思った。 世の中にはメインストリームのど真ん中を歩く人がいて、そこだけに目線が集まりがちになるのは仕方がない。 でもショーウィンドウを飾るようなその場だけの幻想みたいなものではない、ちゃんと根っ子のある強さというようなものは、土にまみれたようなダミ声にこそ宿るのかも知れないなと、改めて感じ入ったのだった。 「マチルダ」というのは「荷物」というような意味もあって、「マチルダと踊る」という言い方には「荷物と共に放浪する」というような意味もあります。 トム・ウェイツにも「Waltzing Matilda」という名曲がありますね。 「踊ろうマチルダ」もトム・ウェイツを意識してる部分は大きいんだろうなあ。
by ash1kg
| 2012-01-18 00:56
| 写真日記
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