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「なんだか大騒ぎだったねえ」 ぺたんと座ったおばあちゃんの写真にこんなコピーが添えられた広告が載ったのは1990年の春。 ローリング・ストーンズ、初の来日公演が終わった翌日の新聞だった。 朝の7時過ぎから近隣の建物の屋上やベランダ、通路などで金環になった太陽に歓声を上げる声を聞き、僕は件の広告のキャッチコピーのことを思い出していた。 僕が金環食に初めて接したのは5~6歳の頃。我が家にあった百科事典にあった連続写真だった。 天文少年というほどではなかったが、幼少期の子供の好奇心をくすぐるには、天文の不思議はお釣りが来るほど十分な存在で、父が多少の無理をして買ったであろうその百科事典の8巻目、「天文・気象」と題された1冊は他と比べて圧倒的に読み込まれ、背表紙からなにからボロボロになっていた。 そこに載っていたのがたしか1943年、北海道で観測された金環食の連続写真だった。 地上付近から上昇しながら食が進んでいく連続写真を見て、太陽がドーナツ状になってしまったら、地上は暗いんだろうなと想像していた。 今日の金環食は僕の人生で最初で最後の出来事になるだろう。 日食ウォッチャーのように食帯に赴き、観測でもするなら別だが、いま居る場所で見る ―― この場所で見たのだという記憶の方がはるかに大切だと思う僕には、日食にそこまでの思い入れはない。 曇りの予報にもかかわらず、薄雲の向こうにリング上の太陽が見えたときには、お隣の子供たちと一緒になって歓声を上げてしまった。 太陽観測用の減光グラスを買うわけでもなく、昨日まではどうせ曇りで見られないだろうと高を括っていた。 金環食の太陽の写真など、今日だけで何百万枚撮られるかわかりゃしないものを、わざわざ僕が撮らなくても良いだろうとも思っていた。 どうせなら太陽にカメラを向けたり、大騒ぎしながらヘンテコな観測グラスをかけている人たちを撮った方がはるかに面白いだろうと考え、金環食になる時間帯に人が集まる場所はどこだろうなどと考えていたのだが、実際に食が始まってみれば玄関を出たところの通路で太陽に釘付けである。 NDフィルターを5枚重ねにして、「おー!」などと言いながら太陽を見続けていた。 単純なモノである。 「撮りたいモノを撮りたいように撮るためには、撮りたいモノを撮らないこともある」 アタマではわかっていたけれど、生涯一度の経験を目にしてしまうと、そんな教訓などきれいさっぱり忘れてしまうものだ。 結果として雲がうまく遮光してくれて、これまでテレビや百科事典などで見ていた遮光フィルター越しに写された真っ暗な中に輝く日食ではなく、肉眼で見たとおりの金環食が撮れた。 実際の金環食は暗黒の中に浮かびあがるものではないのだと、初めて見る金環食を自分の手で撮った今日、初めて気が付いた。 テレビや百科事典で見る金環食はどれも暗闇の中にリング状の太陽が輝いているようで、僕はすっかり「そういうものなのだ」と思い込んでいたのだ。 今朝の日食は幼い日にボロボロになるまで見た百科事典の遠い記憶を改めて呼び起こさせてくれた貴重なものでもあった。入院している父に電話でそのことを話したら、「オマエは天文台にでも勤めるようになるのかと思っていた」と、父は電話口の向こうで笑っていた。
by ash1kg
| 2012-05-22 00:25
| 写真日記
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