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30年の空白を軽やかに越えて
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昨晩、高校の同級生と会った。
卒業以来、実に30年ぶりの再会である。昭和が終わる10年前、聞き耳を立てている者にはバブルが近づく足音が聞こえ、聞こえない者にも感覚的な妙な期待感が立ちこめて、世の中がなんとなく浮つきはじめている。30年前というのはそんな時代だった。

待ち合わせた渋谷で再会した瞬間から間を置かず、僕らはすっかり18歳のガキ同士に戻ってしまった。
もちろん30年の間に様々なことがあり、それらを経ることで今の自分たちができあがっているのだから、18歳だった昭和55年の僕たちとまるっきり同じわけではない。でも昨日までの30年という時間をとりあえず押し入れに放り込んで、僕たちはまるで卒業式の10日後に会ったように互いの近況を語った。
ヤツはすっかり消息不明状態で、生きてるのか死んでるのかもわからなかった僕のストーリーを聞き、僕は交遊がすっかり途切れてしまったかつての同級生たちの消息を聞いた。そこにはありがちな会社の話、子供の話、病気の話はなかった(いや、もちろんちょっとはあったが、そこに寄りかからなければ会話が持たないということはこれっぽっちもなかった)。

「オマエ、ジブリ見る?」と、幾分唐突にヤツが口にしたとき、僕はヤツが何を言いたいのかすぐにわかった。
「コクリコ坂だろ?あの学校ってウチに似てるよな」
僕たちは同じことを感じていた。

僕たちがいた高校は寛容と言うよりも良い意味で無関心で ーー それを便宜上、「自由」とか「自主性」と呼んでいたフシもあるが ーー おかげで僕たちは良くも悪くもかなり自由に過ごせていた。僕は具体的な根拠もなく、自分が過ごしている時間が社会全般からすれあば例外的なことだと感じ取っていたし、先々、どこかで反動というか、ツケが回ってくるときが来るような予感もあったが、ジブリの映画に出てくるような旧制中学の名残のような雰囲気が微かに残る中、とりあえず目の前の幸福を享受していた。「いまはそれで良いのだ」と。

後々になっていろいろな人からそれぞれの高校時代のことを聞くにつけ、僕たちが過ごした3年間というのは実際のところかなり特殊だったし、予想通り例外的だったし、自分では当たり前としか思わなかったことが往々にして他では通用しないのだと気がつくことも何度もあった。
僕は3年間で自分たちの重要な何かが形作られて、育まれたことに納得も満足もしていたし、そのこと自体を後悔したことはいままで一度もない。卒業した人間すべてが同じように感じているのかどうかは知らないけれど、少なくとも30年ぶりにテーブルに差し向かいで座った僕らは高校時代の3年間を肯定的に捉えていた。そういう3年間があったことが幸運だったと思うし、30年前、世の中にまだ「おおらかさ」のようなものが存在しているときにああいう学校に籍を置くことができたのは奇跡に近いものだったと思うのだ。

誰の人生にもきっと黄金時代があり、ピークがある。それが高校時代の3年間だったとは思わない。でも間違いなく僕たちはあの3年間によって自分が立つ土台というものを作り上げてしまったのだろうし、その土台はそうそう簡単に崩すことも、作り替えることも利かない強固なもののはずだ。
実家を失くし、逃げ出すように池袋を出てからずっと僕は自分のことを根無し草だと感じてきた。そういう巡り合わせなのだと無理矢理納得させようともしたし、一人の故郷喪失者として生きていくのだろうと漠然と思っていた。でもそれは間違いだった。
僕は今も18歳のときに出来上がった土台の上で毎日を生きているし、同じ土台で隣同士で成長した仲間たちもまた同じ土台の上で今日も生きている。現実に住む場所や、会う頻度に関係なく、僕らは滑稽なほどに真剣で、実際に滑稽そのものだった10代の頃のまま大人になっている。
今日まで生きていて良かった、と僕は心の底から思った。
愉しい夜だった。
by ash1kg | 2013-05-15 13:23 | 写真日記
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影と光、記憶と個人的な記録
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