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カテゴリ:記録( 26 )
サーファーになれなかった理由
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僕らが10代の頃、巷の男子諸君にはサーファーブームという不思議なブームが到来していた。
ブームだったのはサーフィンそのものというより、サーファーというスタイルで(サーフィンも流行っていたが)、「サーファーカット」なる髪型を整え、使いもしないサーフボードをルーフトップに積んで、おねえちゃんに声を掛ける「陸(おか)サーファー」なる滑稽極まるものまで存在した(当然、本当に海に入っているサーファーからは軽蔑と嘲笑の対象だったらしい)。
ブームというのはいつの時代でもあるものだし、青年期に抱え込む若者の欲望なんてのは今も昔も変わるものでもないので、モテるためなら何でもするというのは王道中の王道なんだろう。

僕はそもそも流行というものからひたすら離れたいと思っていたので、サーファーカットにもサーフボードにも縁はなかったけれど、サーフィンというものにはずーっと興味があった。
当時、読んでいた片岡義男の小説には魅力的なサーフィンのシーンが登場していたし、「ビッグ・ウェンズデー」と「エンドレス・サマー」は大好きな映画だった。
ではどうしてサーフィンをやらなかったか。それは、僕は海では泳げないからだ。

今でも2000メートルや3000メートル泳いでも別にどうってことはないくらい泳げるし、これまで泳いだ距離を全部足したら、普通の人の10人分ぐらいは泳いでいると思う。ところがそれはプールでの話。海では膝より深いところでは怖くて泳げない。底もなければ壁もなく、オマケに流れがあるようなところでは、僕は怖くて泳げないのだ。
それがサーフィンをやらずに来てしまったいちばんの理由。
でも今でもサーフィンに憧れる心はしっかり残っていて、いつかチャンスが来たら誰かに習ってサーフィンをしてみたいと思い続けている。そのため(だけということではないが)に僕は今も時々ちゃんと泳ぐようにしていると言えなくもない。
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by ash1kg | 2013-11-17 23:21 | 記録
恰好良いってこういうことさ。
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3年前に京都で見かけたじいさん。
なんか「生きてる」感じが強烈にあって、惹きつけられたのを今でもよく覚えている。

生きるということがどういうことなのか、50歳手前になってもまだわからないでいるけれど、どこでも良く言われるように「死ぬまで生きる」ということに答えの一つは隠れているんだろうと思う。
恰好良くても悪くても、執念深く生きてる姿ってそれだけでなんだか恰好良い。
恰好悪いというのは存外恰好良かったりするのだと気付いたのは40歳を過ぎてからだった。
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by ash1kg | 2013-11-13 00:49 | 記録
チキータのロゴ、パイナップルの謎
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バナナが高級品だったのは両親の世代のことで、当然のことながら僕にとってはバナナはとても身近な果物だ。
さしたるありがたみもなく、しかも子供の頃は熟れたバナナのねっとりとした食感があまり好きではなくて、時によっては「バナナしかないのかよ~」と不平を言うくらいの酷い扱いだった。

とはいえ八百屋に運ばれてくるバナナやパイナップルの箱はなぜか大好きで、八百屋の脇に積まれたチキータの箱を飽きもせず眺めていた記憶がある。
確か当時はリンゴやミカンは木箱に入れられていて、そこに刷られた墨色の文字よりも、チキータのように青や黄色で刷られたロゴマークがなんだか遠くから来たもののようで、そこに僕は惹かれたのだと思う。

そういえば当時のパイナップルは「Dole」ではなかったように思うのだけど、あれはどこのものだったのだろう?
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by ash1kg | 2013-11-12 01:36 | 記録
リグレーフィールド、シカゴ 2006
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by ash1kg | 2012-09-22 01:55 | 記録
写真から読み取る
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(写真は数日前にアップしたものを再掲しています)

「写真の一つの側面は記録だ」と僕は思っているところが多いので、都写美などで収蔵作品を観るときなど、撮影者の美意識とか観念的なものをすべてすっ飛ばして、何が写っているのかを見つけることに懸命になってしまう。
特に戦前から終戦直後の写真にはピントが絞り込まれたものが多く ―― きっといくつかの理由で「ボケ味」なんてものは撮影者の興味の中心ではなかったのだろう ―― 撮られた当時の様子がわかるものが多い。
僕は写真の中に小さな発見をしては喜んでいる。
それは写真を読み解く ―― 撮影者の意図や写真に密かに織り込まれた意義を見抜き、受け取るよりも、写真に写ってしまっている具体的な事実の中から、ともすれば見逃してしまうような小さなことを見つける、つまりは「読み取る」行為なのだと思う。

今日は数日前にアップした写真を再掲して、写っているものを細かく見直してみた。
いささか重箱の隅をほじくり返すような感じもするけれど、古い写真を楽しみ方としては悪くないと思う。

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旧国鉄奈良駅。
Wikipediaによるとこの和洋折衷型の駅舎は1934年に完成したもので、路線が高架化される2003年まで使われていたそうだ。今は観光案内所として使われている。

写真右に煙突らしきものが写っている。
煙突は駅舎と繋がった右手の建物の裏側に立っているようだが、隣接する建物と煙突が旧国鉄の設備だったのか、別の会社のものだったのかは判らない。
線路は駅舎のすぐ後ろ側を走っていて、煙突は非常に狭い立地にあると思われる。

撮影されたのは1956年の3月末頃で、駅前を歩いている人がコート姿なのが目立つ。
中央の犬を連れている人はジャンパーか袢纏のようなものを羽織っているが、当時は飼い犬を連れて旅行をする時代ではなかっただろうし、地元の住民だろう。

中央奥の駅舎近くにセーラー服姿の女子学生の姿と、誰かの送迎のためか、駅舎の正面に4ドアの車が停められていて、車の向こうに人らしき姿が見える。道路と歩道の区別もなかったのか、駅舎に車を横付けすることもできたようだ。

車が止まっているところの路面と写真のほとんどを占めている路面との色が違うことと、中央の人が歩いているところの両側に車の轍のような痕が見えることから考えると、どうやら撮影された日は雪が降った数日後のようだ。降った翌日なら轍はもっと深くなるだろう。
おそらく気温も決して高くなかったと想像するが、写っている人に手袋やマフラーは見えない。
終戦後10年でまだ防寒用具が一般化するほど豊かではなかったのか、それとも習慣がなかったか、あるいは寒さに対して強かったのか(両親を見ていると、なんとなく寒さに強かったような気もする)。

とりあえずこの写真からこれぐらいのことを思いついた。
なかなか面白かった。
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by ash1kg | 2012-01-26 21:20 | 記録
林試の森/ロバート・フランクとの大きな差について
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雪上がりの朝、道路が凍り、人が滑り転ぶ中、陽射しで凍結した道路が緩んだのを見計らって近所の林試の森まで行って来た。
元林業試験場に植えられた木からは、枝に着いたまま溶け、小さな氷塊になった雪が雹のように降っていた。氷塊が落ちるたびに細かい氷の破片が飛び散り、雪で汚れが消えたきれいな陽射しに反射して、まるでダイヤモンドダストを見ているようだった。

僕はその様子を撮るでもなく、煙草を吸いながらぼんやり見ていた。
そもそも写真が云々というよりも、キリッとした空気の中で雪景色を見たいと思ったがゆえの散歩だったのだから、これはこれで気分が良かった。

普通ならば「きれいだから撮る」「珍しいから撮る」のかもしれない。
残念ながら僕はあまりそういうことに興味が持てず ―― 付け加えるなら、いわゆる「決定的瞬間」というものにもあまり興味がない ―― 当たり前の風景や光景を見たままに記録すれば、まずはOK。あとはまとめるときにどんな文脈に乗せるか、そちらの方の感心の方が強い。言うなれば素材だ。
素材だからといってレシピを書き、必要なものを集めるようなこともしないのだけど(冷蔵庫を開けて何が作れるかを考えるような感じだ)。

夜、ライターで編集者のタカザワケンジさんと写真家のTOMOKOさんの対談をUstreamで見た。
ロバート・フランクの「The Americans」がテーマの中心だった。
タカザワさんの話を聞いていると、ロバート・フランクは撮る時と作る時を切り離している、エディターシップの強い人だったらしい(今も現役だけれど)。それがThe Americansには良く出ているのだという。
僕とロバート・フランクなど並べて評しても仕方ないのだけれど、考え方が似ているのは事実だ。
「同じ」というよりも、「写真とはなんぞや?」と考えたときに、ある特定の捉え方をすると、似たようなところに辿り着かざるを得ないのではないか、とふと思った(つまり、写真にはある種の普遍性があるということだ)。

似たような考え方をしていても、できあがるモノが雲泥の差というところがホンモノとエセとの一番の違いなんだろう。そう思う。
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by ash1kg | 2012-01-24 23:25 | 記録
ホームタウン(4)
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昭和45年の4月から51年の3月まで通った小学校。
門の左側の校舎は入学したときにはまだ古い2階建ての建物で、僕らは門の右側にあった木造校舎を使っていた。

その木造校舎が漏電が原因で火事になったのは昭和46年の12月12日のこと。
ちょうど給食の時間が始まったばかりで、いたずら盛りだった僕らは避難の誘導をする先生のあとに続くときに、すでに運ばれていた給食を持ち出していた。
避難先は近所の公園。
僕らは消防車のサイレンや放水の音、立ち上る煙をよそに、公園でちゃっかりとお昼を食べていたのだった。

その日の朝日新聞の夕刊に、公園のジャングルジムに登った僕らをヘリコプターから撮影した写真が1面に載った。火事に遭ったとは思えないほどの笑顔で、見出しは『僕たち、怖くなかったよ』というようなものだった(ように覚えている)。
だが、実際は僕らは満腹で、満足していただけなのだ。
あとで先生に怒られたことは言うまでもない。
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by ash1kg | 2011-12-05 00:38 | 記録
ホームタウン(3)
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右側の白い壁が途切れた向こうが僕が4歳から27歳までを過ごした家だ。
父方の祖父に進行性の胃がんが発覚し、余命1年と判ってから、31歳だった父が相当の無理をして建てた。

60歳で他界した祖父の記憶は多くない。
この家に住み始める4歳までの記憶は断片的だ。

この路地で僕は育った。
弟や近所の子供達と落書きをし、友達と野球や缶蹴りをし、父とキャッチボールをし、夏には花火をし。
当時は正面に繋がる道はなく、突き当たりはT字路で、通り抜けるには左に曲がらなければならない、迷い込んだパトロールカーがボディをブロック塀に擦っていくほど狭い道だった。
かつてあったセメント工場がなくなり、突き当たりに道が通った今、子供の頃のような狭苦しさや圧迫感はない。
だがかつて路地の奥にあった小さなコミュニティの親密さは、路地の消失と共に失われてしまったように思う。

歩行者用の線の左にあるコンクリート塀は昔とまったく変わっていない。
その変化のなさに逆に物悲しさを感じた。
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by ash1kg | 2011-12-01 23:11 | 記録
ホームタウン(2)
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ここは今を遡ること40年と少し前、僕が通った幼稚園があったところだ。
少子高齢化のあおりか、地域の児童保育センターのようなものに姿を変えたらしい。
あるいは幼稚園だった敷地の広さが災いして、高額になった相続税を物納した結果か。
去年の秋に通った時には僕が通っていたころのままで、「いちばん変わっていないのは幼稚園なのか」と驚いたのだから、区の施設に変わったのはこの1年の間のことであろう。
姿を変えても、いまも子供たちが成長する場所として使われていることに変わりはない。
寂しさの反面で、まあ仕方がないか、と思いながら元幼稚園を離れたのだった。
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by ash1kg | 2011-11-29 18:18 | 記録
ホームタウン(1)
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少なくとも40年は細々と営業を続けているはずの魚屋。
一度も買ったことはない。
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by ash1kg | 2011-11-28 23:56 | 記録



影と光、記憶と個人的な記録
by ash1kg
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