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カテゴリ:写真展感想( 6 )
稲垣雅彦写真展 「SURF and BEACH」
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西麻布のギャラリーEMで稲垣雅彦写真展「SURF and BEACH」を見てきた。
海、ビーチ、ハワイ、モノクロ、と好きなモノのオンパレードとなれば、見逃すわけにはいかない。

30枚の写真はフィルム、デジタルに関係なく、すべてデジタルネガを制作し、コンタクトプリントで作られていたのだが、目の前に精緻で美しいプリントを見せつけられてしまうと、デジタルネガから無理やり大伸ばしするよりも、ベタで作る方が良いのかなと迷いが出た。
コスト面では旧来のプロセス ―― フィルムで撮り、現像をし、引き伸ばす方が勝っているけれど、フィルムの行く末が極めてアヤシイ状況になった今となっては、どんな方法であっても別な方策があるに越したことはない。

酷い言い方をすれば写真というのはプリントされた紙が重要なのであって、プロセスはどうでも良い。経過は大切だが結果がすべてなのだ。
ただ、PCでデータを操作し、ネガを作ってコンタクトプリントを作るという一連の流れでは、プリント制作のいちばん楽しい部分がバッサリと切り落とされてしまうのも事実。
それでも目の前のプリントは本当にきれいで、僕は滅多に買うことのない写真集まで買ってしまった(デジタルネガ云々ではなく、純粋に僕の好きな風景が写しとられていたからだ)。


写真展とは一切関係のないところで僕が引っかかったのは、この制作手法の呼び名の「DGSM」。
「デジタル・ゼラチン・シルバー・モノクローム」の頭文字だそうだが、もうちょっと良い呼び名はないものなんだろうかねえ(ホントに関係ないところで今日もやたら引っかかってしまった)。

写真展は22日まで(日月休)。
http://www.takeuchi-studio.jp/gallery_em/
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by ash1kg | 2012-09-06 01:15 | 写真展感想
虚構と現実、事実なのに映画のような/渡部雄吉写真展「Criminal Investigation」
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1958年、実際の殺人事件捜査に随行/撮影を許可された渡部雄吉の写真をリプリントした写真展。
DM裏面の解説によれば、被写体になってるのは捜査に当たるベテランと若手刑事のコンビの捜査の光景だそうだが、写真の配置といい、まるで探偵物/刑事物の映画 ―― 松本清張の作品をドラマ化したテレビ番組のようなスリリングな印象を受ける。

手法としてはユージン・スミスのフォト・ルポルタージュに共通する印象も強く、ジャーナリスティックな意識に加えて、渡部本人の作為的な意図も多分に含まれているんだろう。
上の写真はDMをスキャンしたものだけれど、展示されているプリント、写真集に収められている写真の中にはもしかしたら立ち位置やポージングをつけて撮影したものもあるのかもしれない。

ユージン・スミスはフォト・ルポルタージュの中に作家の創意性/マニピュレーションを肯定していたが、客観性を重視するジャーナリズムの文脈では、そういった「操作」は攻撃の対象になったとも聞く。
そもそも写真に客観性 ―― 特に狭義の客観性など存在しないと考えているので、この作品でそのようなことがあったとしても、作家自身の操作がこの作品の価値をおとしめることにはならないと僕は思う。

撮影時点での操作が無かったとしても、殺人事件の捜査の現場という本来は具体的な現実だったものが、を再構成の過程である種の虚構性を帯びていくのはなかなか興味深いものだった。

(渡部雄吉写真展 「Criminal Investigation」 TAPギャラリー 7月8日(日)まで)
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by ash1kg | 2012-07-07 01:22 | 写真展感想
枠に収まってる場合じゃないよ/小松浩子写真展「平行定規」
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まず、上のDMの写真だけで「ああ、こういう写真は興味ないな」と判断するのはとんでもない失敗だと申し上げましょう。
と、のっけから断言できるほどこの写真展の展示はぶっ飛んでる。
長巻きの印画紙をチカラ技で現像した全紙大の長絵巻のようなプリントがギャラリー内を生き物のようにうねり、壁面はモチーフになっている建築資材や廃材、コンクリートや鉄パイプなどの写真で埋め尽くされている。
あまりのプリントの量で写真1点1点をじっくり見るということはほぼ不可能で、床に敷かれた写真を踏みしめつつこの空間全体を「観る」のがこの写真展の正しい見方なのだろう。

かつて森山大道のシルクスクリーンの展示会場に足を運んだ寺山修司が開口一番「ガソリンの匂いがするねえ」と森山さんの作品をネタに囃したそうだが、小松さんの展示は現実的に暗室の匂いがする。
膨大なプリントに残った僅かな定着液の匂いが積みかさなり、ギャラリーの入り口に立ったときにはすでに暗室に漂う独特の匂いが嗅ぎ取れるほど。それがまた展示の迫力に一役買っているようで、展示というのは写真の中身だけで片づけられるものではなく、内容と展示の方法、空間の有り様まで含めての展示なのだなあと改めて思うのだった。

マットを掛けて額に納めた写真は据わりが良い。
「そういうものだ」という先入観にピタリと嵌り、観る側も要らぬ混乱をせずとも写真を観ることができる。
だがそれは僕にしてみればなんというか進学校の朝礼を観ているようなもので ―― 襟元を緩めることもなくきちんと制服を着て、列も乱れることなく一列に並び、先生の号令に素直に反応するような朝礼だ ―― キチンとはしているが面白みはない。
それと比べると小松さんの展示は外的な定義などお構いなしで、自分の基準に従い、思うがままに展示を作り上げている。
そのお構いなしさ加減は、自分たちの写真展で床にプリントをばらまいたときの快感に通底するモノだった。

床の写真を踏みしめつつ展示を観て、この写真展は完成する。
ありそうでなかなかやらない手法なので、行儀の良い写真展を多く観ている人は是非とも行って写真を踏みつける快感を味わってもらいたいモノである。
踏んでみれば写真がいかにただの紙であるか、良く判る。そう思うのだ。

(小松浩子写真展「平行定規」 ギャラリーQ(銀座) 7月7日(土)まで)
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by ash1kg | 2012-07-05 23:20 | 写真展感想
汽水域の個性/石元泰博写真展「桂離宮 1953,1954」
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先週の金曜日に行った神奈川県立近代美術館での石元泰博の写真展「桂離宮」。
一人の写真家の作品群を同時期に別の美術館/ギャラリーで、別の企画として見ることができるのは、ありそうで、実はそうそうない。先に見たPGIでの「シカゴ、シカゴ」での印象と比べ、どんな感想を得るのかをはっきり捉えられるのはなかなかに贅沢だ。

他の方も鎌倉の近美での展示について「展示位置が低い」「照明が暗い」という指摘をされていたが、それは本当にその通り。僕は身長175cmだが、作品の多くは腰を少々かがめて見る感じで、もうちょっと高くても良かった。
照明の明るさはきっと絵画の明るさをそのまま使っているんだろうが、こちらももうちょっと明るい方が見やすかった。
まあ些末なことはさておき。

これまで日本建築の美しさのエッセンスとは無駄を削ぎ落とし、極端に簡素な作りの中に細かい細工を施すという二律背反的なギャップにあるのだと思ってきた。
石元さんの写真は、桂離宮の美しさは「直線」にその土台があるからだと語りかけてくるように感じる。
畳みの目、柱、障子の格子、柱の組み上げなどなど、不必要にパースを付けずに、これでもかと直線を捉えている。
引き戸の取っ手や欄間、雨受けや飛び石など、曲線や不規則な配置のものをアクセントとして生かすためには、他は徹底的に直線的にする必要があったのだ。


ということを展示されていた写真から感じたのだが、写真の意味するところは「シカゴ、シカゴ」とはまったく違う。
「シカゴ、シカゴ」が石元さんのパーソナリティを少なからず除くことができそうな感じがあったのに対して、「桂離宮」は美しさというスケールを使って記録に徹しているような印象があった。
しかし、記録者に徹していたとしても、写真から感じたのはどこかしら異邦人的な感覚 ―― 西洋人が惹きつけられるオリエンタリズムのような香りがする。
それは石元さんの経歴と無縁ではないだろうし、桂離宮に同化するのではなく、一定の距離(比喩的に)をとって客観的に捉える感覚は日本人の持っているモノとは違うように感じた。
さりとて純然たる西洋人が撮ったモノともまたどこかが違う「中間」というか「汽水域」のような感じがするのだ。

「シカゴ、シカゴ」と「桂離宮」、どちらの石元さんが本当の石元泰博なのかといえば、それは現れ方が違うだけで、両方なのだろう。
どちらにも完全には属していないというしがらみのなさ、良い意味での距離感がとても新鮮に感じた。
そしてその中間的であることこそが石元泰博という人そのものの個性なのだろう。
やはり写真は世界を除く窓であると同時に、自分自身を映し出す鏡でもあるのだ。


(石元泰博写真展「桂離宮 1953,1954」 神奈川県立近代美術館 鎌倉館 6月10日(日)まで)
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by ash1kg | 2012-05-23 01:10 | 写真展感想
ブルースが聞こえるような/石元泰博追悼展 「シカゴ、シカゴ」
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中一日で芝浦のフォトギャラリー・インターナショナルと鎌倉の近代美術館で催されている石元泰博の二つの写真展に行ってきた。
石元さんはこの2月に他界され、鎌倉・近美の展示も追悼展のような意味合いもあるのだろうが、写真家がこの世を去っても写真は残った我々に何ごとかを投げかけ続けるわけで。
まずは「シカゴ、シカゴ」のことを。

「シカゴ、シカゴ」をひとことで言うなら「ブルース」が聞こえてくる雰囲気。
会場内に置かれたPCで見ることができる石元さん作の映像作品の影響もあるかもしれないけれど、入り口の通路に掛けられた写真を見たときから「やっぱりシカゴはブルースだよね」という感じを受けていた。

デルタブルースではなく、シカゴブルース。
モダンで、切羽詰まっていて、悟ったような開き直ったような、他人事のような、ドライでどこか傍観者のような投げやりな感じがする。
それは石元さんがサンフランシスコ生まれの日系人で、太平洋戦争中は再渡米していて日系人収容所にいれられていたという複雑な経歴も影響しているのかもしれない。石元さんの経歴はミシシッピデルタの綿花畑で半ば強制労働させられていた初期のブルースマン達の背景とかぶる。その場にはいても、完全にその場の人とはなり得ないような。
「シカゴ、シカゴ」はそんな距離感を逆手にとって距離を保ったまま冷ややかな目で写しとられたような写真群に見えた。

(石元泰博追悼展「シカゴ、シカゴ」 フォトギャラリー・インターナショナル(芝浦) 6月16日(土)まで)


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(iPhoneで長文を書くのって疲れますねえ・笑)
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by ash1kg | 2012-05-19 11:19 | 写真展感想
技術の確かさという土台/マイケル・ケンナ写真展 「in France」
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マイケル・ケンナの「in France」を見に有楽町のBLDギャラリーに行って来た。
人の写真をそれほど熱心に見ることのない僕が写真展の初日に行くなんて希有なことだ。
タネを明かせば、通りがかったのがたまたま初日というだけのことで、マイケル・ケンナの熱心なファンというわけではない。
好き嫌いは別にしてもケンナの写真は美しいとは思うし、見て損になるわけでもない。何よりあの美しさの根源とはいったいなんなのかを確かめるにはプリントを見るのが一番。
というわけで平日で貸し切り状態の中、老眼鏡をかけたり外したりを繰り返しながら、じっくりとプリントを見てきた。

「長時間露光」はマイケル・ケンナの代名詞のようでもあり、真似をするファンも多い。
確かにできあがった作品を観れば真似をしたくなるのも頷ける。美しい。
あの作品を生み出すための要素はロケーション、構図、タイミング、どれもが揃いつつ、その場所・光景がケンナ自身の美意識にそぐわなければならないわけで、どこでもいつでもできるというモノではない。
でもそれは実は表面的なことで、作品を作るいちばんの力は前述の要素を乗せる土台、つまり技術を持っていることなのだと思う。

展示されていた写真のどれをみてもシャドーは潰れず、重要な部分のハイライトは飛ばず、しかもピントはこれ以上ないほど入っている。
長時間露光をしていながらここまで露出をコントロールできるというのは、やはり蓄積された経験によるものなのだろうが、それにしてもハイライトをちょっとでも抑えたらシャドーが潰れるというギリギリのところでシャッターを閉じている。長時間露光ゆえに多少の余裕はあるにしても、適正なゾーンですべて収めるというのはとんでもなく難しい。
表面的にはものすごく整った構図で受け入れやすい写真であることは間違いないが、その向こう側にある技術の高さを想像できたとしたら、「好き!」という一言でまとめてしまうのがいかに乱暴なことか判ると思う。

写真が芸術であるかどうかはさておくとしても、土台にあるのは「科学」だ。
フィルムの感光も光の回折も現像~プリントのケミカルもすべて。「感覚」や「センス」が乗っかるのは科学という土台の上だ。
ダルマ落としよろしくその土台をすっ飛ばして感覚やらセンスに寄りかかっている写真はマンションのモデルルームや食品サンプルのように、ホンモノになることは永久にない(それ自体が「芸術」になることはあるだろう。恐らくアートというのはそういうものだ)。

長時間露光は撮影手法の一つであるし、練習すれば誰もが習得できる。
だがケンナがケンナであるのは、彼が1枚の写真を創り出すために必要な技術を高いレベルでことごとく手にしている上に、彼自身が持っている美意識/センスが乗っているからだろう。
ケンナのファンができあがったプリントを見て真似したくなる気持ちはものすごく判るけれど、残念ながらそこから作られるのは劣化コピーでしかない。難しいところだ。

表面的な美しさを味わい、楽しみつつ、制作プロセスの中で随所に発揮された技術の高さにおののきつつギャラリーをあとにした。

※ケンナが自分でプリント作業をしているのか、指示を出してプリンターが焼いているのかは知りません。
でもあのプリントが焼けるように撮影をするというのも、手間も技術もいることに間違いありません。


(マイケル・ケンナ「in France」 BLDギャラリー(有楽町) 6月3日(水)まで)
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by ash1kg | 2012-05-17 11:25 | 写真展感想



影と光、記憶と個人的な記録
by ash1kg
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