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カテゴリ:寫眞昔日談( 6 )
それは黒い真珠のような
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両親を訪ねた帰り、大丸ミュージアムで開かれている写真展『20世紀の巨匠たち』を見てきた。
久しぶりにウィリアム・クラインとユージン・スミスのプリントを見たくて足を運んだのだが、会場
は思ったより混んでいて、それぞれのプリントの前にゆっくり立って見ることもままならないよう
な状況だった(最終日前日に行く方が悪い)。

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by ash1kg | 2008-04-20 23:48 | 寫眞昔日談
キャノン派、ニコン派
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So I said ...
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by ash1kg | 2007-08-25 00:52 | 寫眞昔日談
不良少年は写真部を目指す
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So I said ...
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by ash1kg | 2007-08-06 22:33 | 寫眞昔日談
バケツ現像のことなど ~ 森山大道について 2
c0123210_17283475.jpg僕の作るプリントは昔から粒子が粗いモノばかりなのだが、それにはちゃんとした理由がある。

話は四半世紀前にさかのぼる。僕が都立高校の生徒だった頃だ(たかだか高校時代の話をするだけなのに、四半世紀もさかのぼらなければならないことに心の底から驚いてしまう)。
僕はちょっとした事情で便宜上、写真部に籍を置いてもらっていた。
僕の高校の写真部というのはスノッブな不良の集団みたいなところで、決して非行少年ではないのだが、写真部のくせに手にするのは煙草や雀牌。ミーティングと称して週末ごとに池袋で酒盛りをする、そんな集団だった。

それでも部の維持のために最低限の活動はしていて、その「最低限」が年2回の校内での写真展だった。1度は学園祭の催しとして開かれ、もう一度は3年生の卒業制作に合わせた写真部主催の催しだ。
学園祭では、部長その他の上級生が写真をセレクトするおかげで実際に写真を作らなくてもどうにかなるのだが、毎年2月の写真展だけは全員強制参加だった。出展しない者は除名というルールがあってサボることができない(あんないい加減な集団なのに、この規則だけは厳格に守られていた)。名目だけの幽霊部員である僕も写真を作らなければならなくなってしまったというわけである。

2月の定期展の直前には数が少ない上に使い込まれたボロボロの設備に部員が群がる。現像用のタンクや引き延ばし機は上級生たちに占拠され、1年生はいつになってもフィルムの現像すらできないという感じである。そのときに先輩から教えられたのがバケツ現像なのだ。

暗室はいつも満員なので、シーズンオフで使われていないプールのシャワー室を借りて、すべての窓に目張りをしたうえで暗幕を二重に張って完全暗室を作る。
次に持ち込んだポリバケツの中に現像液を入れ、パトローネから出したフィルムを放り込み、ときどき手を入れて掻き回す。適当に時間が過ぎたところでフィルムを引き上げて停止液の入ったバケツに放り込むといった手順で現像を済ませるといった具合だ。
現像の精度の問題はあっても、ただ荒っぽいだけで手順は間違っていない。フィルム同士が擦れて傷ついてしまったりすることもあったけれど、1本のうち4~5コマぐらいはまともに現像できた。それで十分だったのだ。

それより問題だったのは寒さである。2月のシャワー室で冷たい現像液を掻き回すのだ。冷たくないわけがない。写真より我が身可愛さで僕たちは躊躇なく現像液や定着液の温度を上げることにした(希釈をぬるいお湯でやった)。こうして偶然にも肉乗りのいい黒々としたネガができあがり、粒子の立ったプリントができあがってしまったというわけである。
最初のプリントが今ひとつというものだったら、たぶん温度に敏感になったり、きっちりと時間を計るようになったのかもしれない。本当に偶然、最初の1枚 ―― 夏の強い日差しに照らされた道路の写真だった ―― がギラギラと格好良くできあがってしまったのだ。

今になって考えてみればバケツ現像を教えてくれた先輩Y氏は森山大道のファンだったんだろうと思う。ということは、僕も間接的に森山大道の影響を受けていたということにならないわけでもない。いずれにせよ、僕にとってはわりと幸福な出会いだったのではないかと、巡り合わせのおもしろさに今更ながらに感心している。
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by ash1kg | 2007-06-21 17:29 | 寫眞昔日談
森山大道のこと ~ その1 無知と先入観
c0123210_1505124.jpg「森山大道を意識しているの?」
僕の写真を直に見た人が多く口にする言葉だ。別のバージョンでは「森山病?」とか「やっぱアレ・ブレ・ボケ?」というのもある。
最近はいちいち説明することが面倒になってきて「うん、そうそう」などと適当に答えることも増えてきたが、実のところ僕は森山氏を意識したことなど一度もない。写真的世間では相当に恥ずかしいことらしいが、僕は3年ほど前まで森山大道という人間がいることすら知らなかったのだ。

写真家そのものについても僕の無知さは呆れるほどで、写真家と言われて思い浮かぶのは浅井慎平に篠山紀信ぐらいのものだった。もっとも篠山紀信を知っているのは南沙織の旦那という理由だったし、誰に吹き込まれたのか覚えていないのだけれど「ロバート・キャパというのは実在の人物ではなくて、マグナムという写真家グループのメンバーが匿名で写真を発表する際の共有のペンネームなのだ」という奇妙な伝説を、僕はかなり長いこと信じていた。荒木経惟にいたっては林家ペーと同じく、写真好きの芸人だと思っていたというていたらくである。

僕はフッサールの現象学からハイデッガーなど解釈学、さらにはデリダの脱構築理論を表面的に通り過ぎる過程でロラン・バルトの「明るい部屋」と偶然出くわした。それまでよくありがちなただきれいな写真を撮ることだけ ―― ある意味では単純な写真に終始していた ―― だった「写真」というものと観念的・理論的に向かい合うことになった。それがいま写真を趣味にすることになった最大の理由である。
ロラン・バルトからスーザン・ソンタグの「写真論」へと続き、それまでに得ていたまるっきり違う分野とカメラに関する知識だけを使って、僕は自分なりの「写真論」(大げさな言い方だ)を組み立てることになった。その材料の中に森山大道はなかったのだ。

森山大道という文字列を最初に目にしたのは3年前のことだ。場所は新宿のブックファーストだった。
平積みされた写真集の中に「森山大道写真集」という書店員の手書きポップが立っていたのを目にしたのが最初だった。
普通に考えれば「おお、森山大道の新作が出たのか」と思うはずだ。ところが僕はそれが人の名前だとは思わなかった。
その頃、僕は台湾に行ってみようかと考えていて、旅行ガイドをあちこちで見ていた。そんな先入観があって「森山大道」という文字列を何の根拠もなく台湾とか中国にありそうな「○○北路」みたいな地名だと思いこんでしまったのである。しかもそのことに何の疑問も感じずに「手書きのポップを立ててまで台湾の写真集をプッシュするなんて、ホントに台湾ブームなんだなあ」などと思っていたのである。

友人に「森山大道って写真家って有名なの?」と尋ねつつ、そのことを話したら、一旦は思いっきりドン引きされ、その次には津波のごとく罵倒されまくったことは言うまでもない。
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by ash1kg | 2007-06-11 01:53 | 寫眞昔日談
First Step ~ なんで写真だったのか
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カメラを最初に手にしたのは7歳の時のことだ。そのときのことは35年が過ぎた今でもはっきりと覚えている。
カメラ、写真に触れた最初の記憶のことは、また別の機会に譲るとして、まず始めにそもそもなんで写真にこんがらがるようになったのかを記しておこうと思う。

僕の基本的なスタンスは運動選手としてのそれだ。「どれだけアタマが良くてもそれだけじゃなあ…」という気持ちがどこかしらに必ずある。
ひどい二律背反なのだが、同時に「筋肉だけでもなあ」という気分も少なからずあって、僕自身もときどき自家中毒を起こしたり、軽く混乱したりする。要は目指すところは複合体としての自分、例えるなら一流のスポーツ選手がそろって併せ持つ哲学性とか観念といった独自で確固たる自信のようなものなのである。文武両道というと若干方向が違ってくる気もするけれど、まあそういうことだ。

最初は小説家になろうと思った。結果として僕は物書きにはなれなかったけれど、やるだけのことはやったと思っている。僕は致命的なデッサン能力が欠如しているので、画家はハナから考慮のうちになかった。彫刻にも興味があって、芸大にでも行くかなあと思ったこともあったが、入試にデッサンがあると知り(当たり前だ)これも頓挫。かくして僕はさして興味のない法学部に入り、平凡な会社員生活を送ることになる。文武両道どころか無道もはななだしい生活である。

こうして高度資本主義社会の一端に組み込まれ、カネにも社会構造にも興味がないにもかかわらず、日本の基礎をなす経済社会の中で生活の糧を得る生活になってから、趣味と呼べるモノは本を読むことぐらいになってしまっていた。それも学生の頃に年間300冊近くの量を読んでいたことと比べたら哀しいほどの少なさである。
読書はいまでも大好きだけれど、誰かが作ったモノを受け取るだけというスタンスに、追いつめられたような気分だった当時は少々苛立ちを覚えた。
かといって何かを研究するほどの時間はなく、小説を書くほどの余裕もなく、絵を描く才能もないという中で、唯一身近にあったのが写真だったのだ。
こうして僕の写真生活が始まった。

先日、母親がしまい込んでいた段ボール箱の中から写真がヤマほど出てきた。
その中に生後15日目の僕が写されている写真があった。
写真は僕の人生にずっと寄り添っていたのだった。
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by ash1kg | 2007-01-30 02:10 | 寫眞昔日談



影と光、記憶と個人的な記録
by ash1kg
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