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サンチャゴが見た夢
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写真展では写真を見てもらうのはごく当たり前だが、僕は写真を見る方向を誘導する(ある意味では
規定する)文章と、写真とが醸成するイメージを共通化することを目標にしている。
小説や絵本、映画などがとりあえず誰が見ても、読んでも同じメッセージを受け取るように、写真もまた見る側にすべてを委ねるのではなく、こちらの言いたいことをちゃんと受け渡した上で好き嫌いや善し悪しの判断を下してもらいたいという希望が僕にはあるのだ。

文章を添えることは邪道だとか、ずるいということも言われる。
だがすべての写真は言語化されるはずで(それを実際に言語として具体的に見せるかどうかはともかく)、あえて言語化しないことと言語化できないことは、結果は同じであっても、両者には天と地ほどの違いがあるのだと思う。

今回、僕は「サンチャゴの見た夢」というタイトルを付けた文章を展示に添えた。
それはこんなものだった。

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「サンチャゴが見た夢」


初めて「老人と海」を読んだのは11歳の時だ。

長い格闘の挙げ句、老漁師サンチャゴがようやく釣り上げたカジキは港に戻るまでにシャークに喰い尽くされる。
どれだけ名作だと言われても、僕はこの小説があまり好きにはなれなかった。
「そんなの理不尽じゃないか」
「努力は報われるなんて嘘じゃないか」
読み終えた幼い僕はそんなことを思った。
サンチャゴ ―― パパ・ヘミングウェイは「それも人生だ」と笑うのかもしれない。
そういうことが人生には起こりうるのだ、と。

確かに人生には何もかもが起こりうる。
そのことを、僕らはあの三月の午後に思い知らされた。

あの日からひと月ほど経ったある日、僕は友人が写真に付けた短い文章を目にした。
英文で書かれたその文章に僕は惹きつけられ、何かに駆られるようにその数行の文章を日本語に置き換えた。

   幸福とは探し求めるものではない。
   月の石のように貴重でもなければ、宝石のように特別でもなく、
   それはどこにでもあるごく当たり前の光景の中にそっと横たわっている。
   そういうものなのだ。

毎日、僕らの目には数え切れないほど多くの光景が映し出される。しかし、そのほとんどは気に留められることもないまま、存在しなかったかのように消えていく。
やがて、残った記憶も時間のふるいにかけられ、ヴェールで覆われたように輪郭を失う。そして曖昧になった断片的なイメージへと姿を変える。その記憶の破片は無意識につなぎ直され、そうしてできあがった破片の集合体によって、記憶は否応なく書き換えられていく。
時に優しく、時に残酷に。

あのときの僕は現実の恐怖から離れてゆったりと目を閉じ、落ち着くことのできる場所を ―― 例えばそれまでの平凡な毎日の記憶や、例えば夢の中に ―― 探していたのだと思う。

もはや二度と戻らないほど遠く離れてしまったことに気付きつつ、これからも僕らは倦むほどに平穏だった日々を、懐かしさと共に想い続けるのかもしれない。
そして静かな毎日の中に横たわっていた幸福を、失うことで初めて見つけた僕らはこう願うのだ。
「あの日までのような平穏な毎日が戻ってきますように」と。

これからの日々の中にどれだけ滑稽で、シニカルで、不条理で、唐突で、許し難く、やるせない出来事があったとしても、僕らはこれからも日々の欠片を積み重ねつつ、明日を夢見るのだろう。
サンチャゴが漁師小屋の粗末な寝台でライオンの夢を見たように。

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果たしてどれだけの人に正確に受け渡すことができたか。
不安でもある。
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by ash1kg | 2011-06-14 01:34 | 写真展
ニューヨーク本の値段、決めました/写真展まで32日
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『ホリー・ゴライトリーの妹』

サイズ/13cm×20cm(ペーパーバックサイズ)
ページ数/190ページ(写真(110点)+テキスト)
仕様/モノクロ印刷、90g/㎡(クリーム色)、ソフトカバー(ラミネートコート)← 5/7追記
価格/2,500円 (送料別)
送料/200円 (日本郵便の冊子小包でお届けします)← 5/7追記
納期/お届けまで最長2週間

ご希望の方は kitsune0707<at>gmail.com までご連絡をお願いします。
(お手数掛けますが<at>を@に直してお送りください)

今月20日までにお申し付け戴いた方については、
会期中、写真展会場にご来場戴ければ、直接お渡しします。
手渡しができない方につきましては、すみませんが郵送にて送らせて戴きます。
(レターパックについて、詳しくはこちら→「日本郵便レターパック」)← 5/7追記

なお、写真展終了までの間にご注文いただいた分につきましては
利益を今回の震災の被災地への義援金に送らせていただきます
(いまのところ日本赤十字を想定しています)。

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タイトルの「ホリー・ゴライトリー」はトルーマン・カポーティの
『ティファニーで朝食を』の主人公です。映画ではヘップバーンが演じていました。
(ご存じの方も多いと思いますが、よく聞かれるので書いておきます(^_^;)

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by ash1kg | 2011-05-06 21:45
藤棚と久寿餅/写真展まで35日
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花を愛でるなんて風流さは持ち合わせていないはずなのだが、トシを取ってきてからは花を見る機会が
増えた気がする。それも桜のような超メジャー級の花ではなく、梅であり、藤であり。
皆が一様に絶賛する華美さよりも、半歩下がったような、それでいてしっかりと薫る意志の強さのよう
なものに魅力を感じるのだと思う。

今日は初めて亀戸天神の藤棚を見物してきた。
ゴールデンウィークらしく境内は藤棚見物の参拝客でごった返し、藤の花の匂いと交互にやってくる
露店で売られている焼きそばやタコ焼きの匂いに苦笑しながら、それでも淡い紫色の花と匂いを楽しむ
ことができた。

c0123210_073143.jpg亀戸天神と言えば文化文政の頃からの名物、船橋屋の久寿餅である。
時代劇などで何度となく目にしてきた久寿餅と、かの吉川英治が揮毫した看板にようやくご対面となった。
江戸の民衆の騒々しい藤棚見物を想像しながら、伝統の久寿餅をペロッと平らげた。

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写真展の準備は今日も進み、原板となる六切りのプリントの出力が終わった。

僕はもともとデジタルでもフィルムでも、写真は写真なんだからどっちでも良いではないかという
銀塩原理主義者からは最初に血祭りに挙げられそうな考えである。
写真展のたびに「カメラは?」「印画紙は?」と聞かれることにいささか食傷気味でもあるので、
そういうことに何より興味のある人に「これはどうよ?」と答えに窮するような質問ができる展示を
できないモノかと考えた挙げ句、デジタルプリントをフィルムで再撮影して、印画紙に手焼きした
写真を架けてみようかと考えている。
今日、プリントが終わったのはその被写体となる原板だ。

もっとも、この手法は展示のために考えついたのではなく、フィルムからデジタルへの過渡期の今、
いきなりデジタルネガを使ったオルタナティブ・プロセスに移行するのではなく、その一歩手前で
貴重なフィルムを無駄打ちせずに使う方法はないだろうかと考えた結果、着想を得たモノだ。
したがって ―― もう約1ヶ月しかないこの時期にあってもテストをしていない状況なので ―― 実際
の展示に使えるシロモノとなるのかどうか、まだ判らない。ただこれまでにやってきたことの組み
合わせでしかないので、失敗したとしたらそれは不可能なのではなく、僕の技術の未熟さゆえのこと
である。
いずれにしても原板の出力が終わったことでようやく次のプロセスに入ることができる。

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by ash1kg | 2011-05-04 00:42 | 写真日記
表現するということ/写真展まで37日
5月の最初の日、六本木で映画『阪急電車』を見てきた。
ホームドラマのように、特別で表層的な起承転結があるわけでもなく、小さな問題が起きては小さく
収束し、いわゆる映画的な、あるいは物語的な盛り上がりなどないままに、ありがちな日常のような
光景が作られ ―― いやそれはまさに副題の通り「奇跡」のような偶然なのだが ―― しっかりとある
種の物語が進行していくという不思議な映画だった。
例えれば静かにたゆたう波のような静かで、可笑しく、楽しく、ホッとする映画だった。

帰宅後、世界フィギュアのエキシビションを見る。
安藤美姫はいくつになったのかと思ったら、まだ23歳なんだそうだ。若い頃からトップスケーター
として活躍していたからか、実年齢より上に見える。
何より彼女のスケーティング自体が円熟味を増したような気がする。

スケートに限らないけれど ―― 例えばバレエとか、門外漢だけれど恐らくミュージカルやオペラも
同じだと思う ―― ああいうものは「次はこう、その次はこう」と、プログラムの順序や動きを考えているうちはまだまだなのだろう。
そういうものが身体に馴染む、あるいは自分自身と完全に同化するために厳しい練習をするのだ。

そしてそれは完成ではないのだと思う。
完全に滑ることを意識せずともできるようになったその上で、自分が伝えたい何かを乗せる。
それが「表現」と呼ばれるモノの正体なのだ。

もちろんフィギュアスケートは他の選手と競う「競技」であるのだから、高度な技術を正確にこな
しつつ、さらに表現力を問われるわけだが、優劣はやはり表現するチカラに左右されるのではないか
と感じる。そしてその表現のためには高い技術の裏打ちが必要なのだ。
何も考えなくとも当然のように使える技術を体得し、その上でその技術をただの道具として使う。
あるいはその技術を捨てて、さらに何かを積み上げる。あるいはセオリーを無視した何かに挑む。
そうすることによって表現なるものはこれまでの枠を踏み越え、さらに遠くまでいくのかもしれない。
そんなふうに思った。
そして「まるで写真のようだな」と後になって気付いたのだった。


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写真展まで37日。
相変わらずプリンターから出力し続けている。
今日は5枚プリントしたところでインクと紙がなくなった。
デジタルプリントのコストは高い。思っているよりずっと高い。

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今日は写真はなし。
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by ash1kg | 2011-05-02 00:31 | 日々雑感
レイアウトの決定、ロイヤルウェディング/写真展まで39日
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ようやく写真展の壁面レイアウトが決まった。
地震で空白になってしまった1ヶ月がなければ、といまさらながらに思わなくもないが、揺れる毎日の
中でいったいどれだけの準備ができたのだろうかと考えると、それどころではなかったと思う。
今もプリンターからちょこちょことプリントを出していたのだけれど、これは全体の工程 ――
どういう工程かを先に言ってしまうと面白くないので、今はまだ内緒だ ―― から言えば2割ほど。
まだまだ先は長い。
会期までに終わる自信も保証もないが、こういう職人仕事的作業は手を休めずにただ続けて行けば
やがて終わる。そういうものだ。

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ウィリアム王子とケイト・ミドルトンさんの結婚式。
新婦のケイトさん ―― 結婚式後はキャスリーン妃か ―― の美しさに目を惹かれる一方で、
どうしても脳裏に浮かぶのは故ダイアナ元皇太子妃のことだ。
彼女とチャールズ皇太子との結婚式はテレビに釘付けになって見ていた。
本当に美しい人だった。ウィリアム王子の凛々しい軍装にもダイアナ妃の面影が散見できて、
彼女が不幸な事故で亡くなっていなければ、さぞかし喜んだことだろうなと思う。

それにしても人の幸せそうな姿を見ていると、こちらも少しお裾分けをもらったような気がする。
ありがたい。
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by ash1kg | 2011-04-30 01:37 | 写真展
腕利き職人の技/写真展まで41日
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写真展のDMを置いてもらえるように、入船のH師のところを尋ねたのは昨日のこと。
地震の発生以来、顔を出すのは初めてで、震災以降のあれやこれやを小一時間話し、ついでにでき
あがった「ニューヨーク本」を見せ、あれこれと指摘やら感想を聞いた。

その後、BLDギャラリーで森山大道の写真展を見てから、銀座に用事があるという友人のトマさん
1ヶ月ぶりに会った。

彼の用事とは調子の悪い愛機を修理にだすことだった。
何やら銀座にいる腕利きの修理技師のところに行くのだという。
僕もトマさんと写真のことで話をしたいと思っていたところだったので ―― 展示についてのこと
だったり、本のことだったり ―― いささか唐突ではあったが、トマさんにくっついて行くことに
したのだった。

かくして僕はひょんなことからカメラ技師のHさんとお会いすることになった。
Hさんは純粋な「職人さん」である。
トマさんがサンプルのプリントを見せてトラブルの状況を説明しても、「ハッセルのことについて
ならなんでもわかるけど、現像はわからないんでね」と言ってニコニコ笑っている。

祖父は樵夫あがり材木商、大叔父には豆腐職人やら鍛冶屋やら、瓦職人やらがいて、伯父やその他の
親戚にも指物師だとか木工職人だとか宮大工など、子供の頃から僕の周りにいたのはいわゆる職人
ばっかりだった。
そのせいか、今でも僕は職人仕事を見ているのが大好きだったり、職人さんを無条件で崇拝してしま
うようなところがある。

不器用の見本のような僕にはカメラのような精密なモノを手がけるなど夢のまた夢だけれど、仮に
「写真家」と「カメラ技師」のどちらかを選べと言われたら、僕は意外なほど簡単に後者を選ぶような
気がする。
まあ自分に写真的な美しさを見抜く、撮る前に考えるという「当たり前」の能力が欠落しているのを
わかっているからだが、それをさておいても、僕が「芸術家」と呼ばれるよりも「名工」と呼ばれる
方に惹かれるのは間違いない。

写真家、カメラマン、フォトグラファー、呼び名はいろいろとあるが、写真絡みの肩書きでいまでも
魅力を放つのは、かつて下岡蓮杖や上野彦馬の時代に彼らが呼ばれていた「写真師」という呼び名
だろうか。どことなく「究めた」感じが伝わってきて、なんとも格好良く感じる。
まあ自分にできるのは撮った写真を部品・素材として別の形に作り替えることぐらいなのだけれど。

Hさんが事務所の中で見せてくれた工具や治具、ちょちょちょっと触って不具合を修正していく手さ
ばきを見て、トマさんと僕は何度も「スゲー!」を連発した(あとで聞いたらトマさんも職人の血筋
なのだそうだ)。
実に愉しい時間だった。

結局のところ、トマさんの愛機は一度持ち帰ってテストした後にオーバーホールすることになった。
また近々お邪魔するチャンスがあるということだ。楽しみである。

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森山さんの展示とHさんの職人技に刺激を受け、展示の方法を一から見直してみた。
アウトラインはおおよそできあがり、掛ける写真を選ぶ基準もおおよそ見えてきた。
一両日ぐらい寝かせて、レイアウトが固まれば、次はあまりに拙い「匠の技」の出番である。


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by ash1kg | 2011-04-27 19:14 | 写真日記
すべてが理屈で割り切れるわけではない/写真展まで43日
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ふと浮かび上がった大昔の記憶。
高校受験のために一時期、競泳選手としてのトレーニングを休んでいたときのことだ。
日々トレーニングに明け暮れていた身体は
毎日机に向かうだけなどという生活に耐えられるわけもなく、ただ担任の先生がバスケット部の顧問と
いうだけの理由で、受験が終わるまでの半年間、バスケット部員として過ごした。
その頃のいろいろな記憶が何の前触れもなく甦った。

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数日前から写真展の構成をどうするか、試行錯誤を繰り返している。
もう50回近く入れ替えてみたが、まだしっくりこない。
どうにも理屈付けとか、先入観とか、たわいもない美意識みたいなものに縛られているようで(そん
なものは持っていないにもかかわらず)、どう着地してくれるのか、今はまだ皆目見当がつかない。
そんな迷いがあったから30年以上も前の記憶が浮かび上がってきたのかもしれない。

合理性は常に必要だと思う。
だが合理性ありきで作るのではなく、感性によって作られたモノであっても、それが適切に作られて
いるならば、結果としてそこに合理性を発見できるのではないか。
迷いの中、いま僕はそんなふうに予感している。
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by ash1kg | 2011-04-25 23:53 | 写真日記
ポストカード、買って下さい/写真展まで47日
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写真展の会場に置くポストカードの準備を始めている。
最終的には、僕は10種類ぐらいを置くつもりでいる。

ポストカードの使い途というと、飾るか、あるいは誰かに宛てて何かを書き、
ポストに投函するかのどちらかだが、願わくば後者であって欲しいと思っている。
メールより不便で、だけどどこかしら親密で、長く手元に残してもらえるような、
そんな気がするのだ。

(クリックすると拡大します)

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by ash1kg | 2011-04-21 23:45 | 写真展
写真のチカラ、言葉のチカラ/写真展まで51日
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出かけている時に急な雨。
空を見あげると雲があるところだけボタボタと降っている。
通り雨なのはすぐに判ったが、あまりに雨粒が大きくて折りたたみの傘を買う。
内心、この雨の中にも幾ばくかの放射性物質は入っているのだろうと思いつつ。

ふとしたときに津波に流された瓦礫の山からアルバムや位牌、思い出の品を懸命に
探している被災した人々の姿が頭に浮かんでは消える。
写真は記録。そのことは判っていても、「せめて写真だけでも」と泥に汚れた写真を
手にしては、押し流されてしまった平穏な生活を思い返しているのかもしれない。
東京でのうのうと暮らしている僕などには、彼らの喪失感や虚無感などおそらく想像も
できないのであろうと思う。

記憶の断片として残った写真の、あまりに脆弱なありがたみ。
あまりに写真は無力だと思っていた。
写真を撮ることぐらいしかできない自分の無力さにも辟易としたことが何度もあった。
米も衣服も水も生活の細々とした品も、僕にできる範囲で送ったけれど、それぐらいしか
できないのと、責めるように何度も自問自答していた。

4月の初頭ぐらい頃だったろうか、被災地の写真にボディコピーをつけた復興に向けた
ポスターの存在を知った。
被災地の人々の復興に向けた強い意志と、それを支援するかのような力強い言葉に
僕は写真は使い方でこうも人の気持ちを奮い立たせることもあるのだと、頭をハンマーで
殴られるようなショックを受けた。
脆弱だなんてとんでもない。
写真には写真にできることがある。



「復興の狼煙ポスタープロジェクト」http://fukkou-noroshi.jp/

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今回の写真展はグループ展なのだが、参加者の了承を得て、個々でチャリティを実施する。
具体的にはポストカードや展示作品を販売し、売上を義援金として送ろうというものだ。
自分にできること、写真にできることはもっとあるのかもしれない。
でもまずはできることから。

展示作品の価格はそれぞれですが、ポストカードは共通で1枚100円で販売します。
気に入るものがあるかどうか、会場でぜひご覧ください。
ただ寄付を募るのではなく、写真の対価として戴いたお金を寄付に回させて戴こう。
そんなふうに思っています。
展示作品も即売できるようにプリントを用意するつもりですが、それ以外の写真でも
もしご希望があればご用意して、会場でお渡ししようと考えています。
対象となる写真は後日、アップするつもりです。
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by ash1kg | 2011-04-16 23:51 | 写真日記
まずはあるがままに/写真展まで53日
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展示プランを白紙に戻したことは決して間違いじゃないと思っている。
ギャラリーの壁をどう見せるかは人によって違うのだし、どれが正しくて、
どれが間違いということもない。
信じた通り迷わず写真を飾る。そうすることが唯一正しいのだと思う。
僕の場合は肝心要の自分が迷っているというだけで。

これは僕の浅薄で個人的な省察なのだけれど、自分の心根に正直に、
心の中に在るものの指し示す通りに展示を作れば、どんな材料、写真を
使って壁面を飾ったとしても、そこには自分が思った通りのものが浮かび
上がるのだと信じている。
可能な限り技巧や装飾を取り除き、ただあるがままに出す。
そうすれば良いのだと思う。

絵を作り込んで撮るにしても、反射的に撮ったものを並べるにしても、
自分の心の内に従って作るというのは、自分の心の有り様を剥き出しで
見せるということだ。
ものすごく勇気が要る。
だがそうであるからこそ自分の考えたことがいくらかでも伝わるのではないか。
そんなふうに思う。

いま僕が最も欲しているのは平穏であり安寧だ。
個人的にも国家の置かれている状況にしても、穏やかで何の疑いもなく明日を
信じられる毎日を望んでいる。

いくつかキーワードになるようなフレーズが浮かんでいる。
その言葉の持つ理に従って写真を何枚か選んでみた。
選ばれた写真と言葉を反復するうちに、漠然としていたイメージが別の言葉に
なって浮かび上がってきた。
数日間、これを寝かせてみようと思う。
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by ash1kg | 2011-04-14 17:06 | 写真日記



影と光、記憶と個人的な記録
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