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仙台へ / 潜れば底はさらに深く
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1月の予感通り、無い袖を懸命に振って「最後のマンガ展」の仙台編を見に行ってきた。
「最終重版」というサブタイトルの通り、今回の仙台での展示でこの巡回は終了らしい。
回数が自慢になるとは思えないが、僕は4回見た。上野で2回、大阪と仙台で1回ずつ。
この展示がこの先、どんな評価を得ていくのかは予想もできないが、ある種の人たちにとって、
この「最後のマンガ展」を見たかどうかがかなり重要な差異になってしまうのではないかと
個人的に思う。

大阪では会場の違い(上野と大阪の違い)が気になったのだが、今回は仙台メディアテークと
いう会場が実に良くて、上野とはまた違った良さを味わうことができた。もちろん圧倒され、
揺さぶられ、打ちのめされたことは変わらず(4度も見てるのに)。

同じ平面表現なのに、どうしてマンガにできて写真にできないのか。
その答えはようやく手がかりを見つけたような気になっている。
見せるとはどういうことか、どういうプロセスで見せたら良いのかについては、自分なりの結論に
至っているが(それなりに論理的に)、おそらくそれはある部分が普遍的なだけなのだと考えて
いるので、披見する気にはなれない。
ただそこにこそ写真が根源的に持っている高い壁はあるのだと思う。
だからこそ乗り越えなければならないのだが。

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展示されているのを見てからというもの頭から離れない言葉なので、何度でも繰り返す。


      言葉は海のようだ
      底に何があるのかは深く潜ってみなければわからない
      眺めるだけの者にとってはただ綺麗で退屈なもの


「言葉」という部分を何に変えても良い。
例えば「写真」でも。

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「最後のマンガ展 最終重版」 http://www.flow-er.co.jp/sendai/
6月13日まで。
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by ash1kg | 2010-05-22 00:10
左義長、鏡開き、動く祝日
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今日は正月飾りを神社などで焼く左義長の日。
慣習通り、すでに外してあった輪飾りや注連飾りを持ち、近所の神社へ。
四方に竹を立てた結界の中には山のように正月飾りが積み上げられ、焚き上げられていた。

昨今は正月飾りにもプラスチックの飾りが使われることが増えて、そのまま燃やしては
ダイオキシンが発生するということで、左義長自体をやらない、プラスチックの付いた飾りは
受け付けない、一ついくらの有料で預かるなど、ずいぶん形が変わってきているそうだ。
(ウチの近所の神社は外してから預けることになっていた)

変化しているのは飾りや方法だけではない。
左義長は、以前は1月14日の夜(あるいは翌15日の昼間)に行うものだった(子どもの頃、
14日までに神社に正月飾りを持って行くのは僕の役目だった)。
ところが「ハッピーマンデー法案」の通過以降、1年の中のいくつかの祝日は日付を定めず、
その月の何週目かの月曜日と可変化するようになってしまい、毎年「今年は……」とカレンダーを
見て確認する有様である。

確かに国が勝手に連休を作ってくれた方が、国民の財布からユキチのおじさんを引っ張り
出して経済を動かすには都合が良いんだろうけど(もちろん連休は嬉しい)、飛び石連休に
なってしまったり、週の真ん中に祝日が来たりとラッキー・アンラッキーが交錯するかつての
カレンダーの方がかっちりとした季節感があって良かったのかなと思わないでもない。


夕食は供えてあった鏡餅を下ろして作ったお汁粉。
容器に注入して作った餅の不味いこと、不味いこと。
縁起を担いで一口だけ食し、切り餅を焼いて作り直したことは言うまでもない。
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by ash1kg | 2010-01-11 23:30
見せるということ
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昨日の日中、浅草に向かう途中、かなり大胆な寄り道をして、深川の現代美術館に寄った。
エントランスで行われている公共展示をどうしても見たかったのだ。

展示されているのは井上雄彦の筆と墨で描かれた高さ5メートルにもなる巨大な作品。
上野で展示されたものより遙かに大きい。
絵は大きく、激しく、そして静かで、僕は魅入ってしまった。

上野で井上雄彦の展示を見たのは一昨年のこと。
写真と同じようにモノトーンで作り出された平面物なのに、どうしてこうも違うのか。
どうして自分が言いたいことを誰にでも同じように伝えることができているのか。
僕はそれまで考えていた見せるという概念の底の浅さに我ながら呆れ、そして打ちのめされた。

今月、大阪に出かけるつもりでいる。
天保山のサントリーミュージアムで行われている『最後のマンガ展』の大阪版を見るためだ。
上野で見たときより、現代美術館で絵に対峙したときより、一歩でも近づければと思う。
そしてまた「見せる」ということを考えなければならなくなるのだろう。
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by ash1kg | 2010-01-10 23:35 | 写真日記
にわかの発熱
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昨晩から急に発熱して、今日は一日伏せったまま。
38度から一向に下がる気配もなく、インフルエンザみたいな症状である。
暮れにかかったばかりなのに、こうしてまた罹るなんてことがあるのか?
もしかして新型?
かかりつけの医者は今日まで休み。
明日の朝、診察にでかければはっきりするのだが、正月早々なんだかなあという感じ。

でも食欲は変わらずあるし、煙草の味は変わらないし、熱以外は何もおかしいところは
ないのがまた奇妙な感じである。
「家から出るな」と医者から言われたら現像でもするかな(笑)
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by ash1kg | 2010-01-05 22:18 | 写真日記
古い玩具 / モノとして遺すこと
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「正月らしく」ということで、両親の所に出かけてきた。
いま両親が住まいしているところは僕にとっては地縁のない場所なので、帰省というよりもただ両親のいる
場所を訪ねるという意味合いしかない。まあ行く場所があるだけでもずいぶん良いことなんだと思うけれど。

玄関を開くとたたきに段ボールが2つ。横には母の字で「子どもの頃の玩具」と書いてある。
「いま着いたよー」と声を掛けつつ、僕は段ボールを抱え上げて居間に入っていった。

蓋を開くと中には幼いころに遊んでいた玩具類がざくざく。
ベーゴマに剣玉、ブリキで覆われた投げごま、軟式野球のボール、膨大なめんこの束、帳アナログなポー
タブルゲームなどなど。
一つ一つ取り出しては「このコマは誰それから取ったんだったなー」とか、「このめんこは引っ越しちゃう
誰それくんがくれたヤツだよ」などと言いながら、2時間近く ―― 要するに箱が空になるまで ―― 記憶を
辿る短い旅が続いた。

母がふと「今の子たちは将来、こうして子どもの頃遊んでいた物に触れるのかねー」とつぶやいた。

ゲーム機の中身だけがどんどん変わっていくだけで、外身に変化のない ―― ゲーム機もそれなりに進化
しているのだろうが ―― ゲーム機を眺めて「あのときはさー」と記憶を遡ることができるのだろうか。
僕はゲームというものを一切やらないので何ともよくわからない。少なくとも僕ほどには物と記憶が強く結び
つくことはないのだろうとぼんやり想像できるだけである。


「写真も一緒よね」といきなり母が僕に向かって言う。
「今週中にデジカメのデータをプリントして来なきゃ!」と、さも大事なことを忘れていたとでもいうように、
母はなぜか気忙しい口調で言うのだった。

確かにデータで持っていても、しょせんは電気信号に変換された数字の羅列でしかない。
やはりプリントというモノに変えておいた方が良いのは言うまでもないことだ。
箱に詰まった玩具のように。


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どうやらその中のいくつかは父が子どもの頃遊んだもののようである。
ベーゴマに残っていた野球選手の名前や形状からわかる。
父が使っていたベーゴマはすでに65年の月日を経ている。
やっぱり「物」として残るとはすごいことだと思う。


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重ねて余話を。

ベーゴマに残っていたのはこんな名前だ。
「長嶋、王、土井、シバタ、杉下、太田、宮田、川上、尾崎、池永」などなど。
後半まで知ってる方、かなりの野球通です(笑)。
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by ash1kg | 2010-01-04 23:06 | 写真日記
現像始め兼ボケ初め
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3日の朝から両親の所へ顔を出す予定になっているので、正月三が日のうちに1度ぐらいフィルムを
現像しておこうと、ガチャガチャと道具を並べ、フィルムを詰めてあったタンクを暗所から引っ張り出して
めでたく現像始めとなった。

と、ここまではよかったのだが…。
何を勘違いしたのか定着液とドライウェルの希釈液を取り違えてしまって、攪拌している最中にタンクから
泡がはみ出してきてしまった。
粗忽者の僕にはこんなこともあろうかと、ご丁寧にビーカーのサイズを手順ごとに違えたり、目立つところに
テープを貼って色分けをしているにも関わらずこの始末である。

幸い定着に入る前に徹底的に水洗したおかげで無事にフィルムは現像できたけれど、正月早々、手慣れた
作業に大ポカとは情けない限り。
それもこれもテレビに気を取られていたからとは、笑われても仕方がないくらいのアホさである。
学んだとすれば現像の時はラジオか音楽、テレビは間違いの元ということか。
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by ash1kg | 2010-01-03 01:46 | 写真日記
初売り
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毎年の行事になっている福袋を求めて恵比寿の初売りへ。
今年の初売りは世相を表しているのか、食料品やお使いモノには人が群がっているものの、それ以外の
店舗では例年と打って変わって、昼近くなってもまだ店頭に福袋が並んでいるところも少なくなかった。
人生の豊かさとは本筋のすぐ脇を併走する余録にあるのだと信じている僕からすれば、こういう無駄を
切り詰めなければならない状態が続いているとはなんと暗い世の中なんだろうと下を向きそうになる。
とは言っても僕などはすぐになくなる日用品ばかり買っているのだから、本当は偉そうなことは何も言え
ない。フィルム100本詰め1万円なんていう福袋があれば、喜んで買うのだけれど。

ついでに写真美術館に立ち寄る。
年始の今日は入場が無料ということもあって、木村伊兵衛とカルティエ=ブレッソンの会場はなかなかの
混雑だった(サルガドの最終日ほどではないが)。
無料ということを差し引いてもこれだけ写真を見る人がいるというのはちょっと驚きである。
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by ash1kg | 2010-01-02 17:25 | 写真日記
初詣の混雑、初撮り、今年の目標
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必要以上の盛り上がりもなく、行く年来る年で流れる除夜の鐘を聞きつつ平穏なままに新年を迎えた。
寒いという予報を鵜呑みにして、1枚余計に着込んで例年のように目黒不動へ初詣に出かけたのだが、
本堂から山門を越えてさらに続く長い行列の中ではそれほどの寒さも感じなかった。
おそらく不況の余波での神頼みといったところなのだろう。
溺れる者は藁をもつかむ。泳ぎに自信のある僕でもつかむ。

帰りがけに近所の八幡様にも立ち寄ったのだが、こちらも不気味なぐらいの列ができていて、世の中は
本当にどうしてしまったのだろうかと思うほどであった。
物質文明が行き詰まったとき、人々はおそらく心の平穏を願う方向に進むのだろうと漠然と考えていたが、
町の八幡様にできた行列が、戦後、ひたすら駆け上ってきた物欲で成り立つ社会の崩壊を表している
のだとしたら、世の中の転換とはこうもあっけなく起きるものなのだろうかと唖然としてしまう。

ともあれカメラの中に残っていた20枚ほどを撮りきり、今年の初撮りも無事に済んだ。
今年の目標といっても、まずは1年の平穏と安寧を願うし、とりたてて過大な目標を掲げるつもりはない。
とにかくできるだけ多く撮り、できるだけプリントを作りたいと思っている。
非凡は非凡のまま生まれるのではなく、往々にして平凡に生きる中から予兆もなく湧き上がってくるものの
ように思えるからだ。
毎日の生活を当たり前に過ごす上に写真はあるのだ。

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皆さん、明けましておめでとうございます。
2010年も変わらずお付き合い戴けますよう、よろしくお願いします。
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by ash1kg | 2010-01-01 03:22 | 写真日記



影と光、記憶と個人的な記録
by ash1kg
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