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惑染の凡夫 / 現実の精度
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夜、外出した帰りに写真のことを考えながら、蒸し暑い夜の街をつらつらと歩く。

本当を言えばコントラストなんてどうでも良いし、粒状性だってどうでも良い。
カメラにもレンズにも意味なんてない。何とかだからよく撮れるとか、何とかの描写云々というのは
所詮はただの好みであり、幻想でしかない。
階調になんて写真の意味はこれぽっちも含めようがないと思うし、そもそもそんな周辺的なことは
すべてテクニックの問題であって、僕は別にテクニックを見せたいわけではないのだから、そんな
小手先の美意識になど拘泥する必要はないのだ。

何を撮れば良いのか(あるいは何を撮らなければ良いのか)はおぼろげながら判っているつもりだ。
対象は目の前にあるすべてで間違いはない。標識だろうが吸い殻だろうが、目に入ったものを残らず
撮っていけば、やがて積み重なった写真自体が意味を持つことになる。
構図だってどうでも良いし、僕は175センチメートルの目線の世界に生きているのだから、地面に
這いつくばって写真を撮る必要もない。ましてやありえない世界を作ってわざわざ写真を撮るなんて
僕とは無縁の世界だ。
コンストラクテッド・フォトにどれほどの意味があるのか。
どうせ見せてくれるのなら、写真を撮るがために用意された虚構自体を見せてくれと思う。
わざわざ平面に押しつぶす前に。

1枚の写真そのものは何も語らないし、語ると思っているのならそれはやはり勘違いだろうと思う。
写真が質量としての存在を増すことで、初めて写真はいずれかの方向を指し示すようになるのだし
(それが無意識であっても、意図的であっても)、我々は本当はただ撮れば良いはずなのだ。

カメラやレンズ、コントラストや階調などのさまざまなものに拘泥する様子をぼんやり考えていたら、
小説家が物語りそのものよりも筆記用具や原稿用紙、字のきれいさに拘っているようで、僕はその
夢想に苦笑いしてしまった。

模索という名の迷走を続けながら空を見上げると、つい先日、地上から太陽をすべて隠した月が
その身を半分にして浮かんでいた。
by ash1kg | 2009-07-30 02:04 | T01
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影と光、記憶と個人的な記録
by ash1kg
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