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神宿るところ
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最近、「パワースポット」なるものが流行っているらしい。

今回の小旅行の目的のい一つまだ行ったことのない伊勢神宮へ「お伊勢参り」をすることだった。
大阪・鶴橋から約2時間。近鉄特急で外宮のある伊勢市へ。
いかに伊勢神宮とはいえ、1月末の平日である。駅前は閑散とし、観光客もまばら。ああやはりな、
と思っていたら大間違い。5分ほど歩いて外宮まで着くと、観光バスが何台も並び、孵化したカマ
キリのようにわさわさと観光客が降りてくる。
内宮はさらにすごく、江戸期に大流行したお伊勢参りとはこんな光景だったのかと想像できてしまう
ような人の多さであった(週末の竹下通りや表参道に匹敵するような人出。それでも週末よりはずっと
少ないのだそうだ)。

奇妙に感じたのはどこの社にも必ず若い女性の姿があること。
旦那さんや彼氏と来ているわけではなく、若い女性同士のグループあるいは女性の一人旅の人が
実に多い。
ははあ、これが噂のパワースポットブームってやつか、と想像しつつ、至るところで目にする女性が
真剣に祈る姿を不思議な感覚で眺めるていた。

若い頃、何度か野宿をしたことがある。
もちろん金がなくて駅舎に泊めてもらったり、駅の敷地にテントを張らせてもらって寝たりしたのだが、
ときによってはお寺や神社の境内に泊まることもあった。
このときの経験で僕は神社はお寺より不気味ということを知っている。
お寺の敷地にテントを張ったり、宿坊に泊めてもらったりしても ―― それがたとえ墓場の脇でも ――
恐怖感はまったくないのだが、神社は敷地に神主さんが住まっていようが、道路の脇の立地であろうが、
怖くて眠ることなどできないのだ。

伊勢神宮の内宮は天照大神を祀った日本の最高位にある神社である。
仏教は人を救済するためにあるそうだが、神道はただただ畏れ、ただただ敬い、ひたすら神様の
ご機嫌を伺う場所のように感じる。
人間の欲望や願いなどお構いなし。それどころか人間んど穢れの一つぐらいの感じで排他する
ような雰囲気すらあって、それゆえ「神聖」ということになるのだなと感覚的に納得できる、人間の
世界とは隔絶した、まさに「結界」そのままの場所なのだった。

確かに普段暮らす街とはまるっきり違う空気だし、パワースポットと言いたくなる気持ちも判らなくは
ないのだけれど、あの場に行って合格祈願とか家内安全だとかという個人的なお願い事をするような
感じではない。
社の正面に立ったとき、自分はどんなことを願うのだろうと考えていたのだが、二礼二拍手のあと、
自分の頭の中が空っぽになっていることに気がついて驚いてしまった。
結局その場で浮かんできたのは「国家」とか「日本」とか、普段では想像もできないようなスケールの
お願い事で(要するに家族とか個人というような現世利益的なサイズはあまりにそぐわない場所という
ことだ)、それでも自然にかしこんで頭を垂れてしまう(垂れさせられてしまう)のだった。

流行に乗ってお伊勢参りに来た人たちは、おそらく江戸時代に伊勢神宮に参拝に来た人々と変わら
ないのだと思う。
どれだけ本筋と離れているにしても、参拝の際にきちんと鳥居の前で一礼する人が増えた要因が
昨今のパワースポットブームにあるのだとしたら、流行というのも悪いことばかりではないなと思うの
だった。


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でも伊勢神宮って確かに違う空気がある。五十鈴川を半ば渡るときから異様な感覚は張り付いた
ままで、帰りに鳥居をくぐったとき、正直「肩の荷が下りた」というような感覚が間違いなくあった。
いささかオカルトチックな言い方をするなら、あれが「気」ってことなんだろうな。
by ash1kg | 2010-01-29 20:04 | 写真日記
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