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妄想を指し示す表象として
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自宅でやることが多かったのと、体調がちょっとだけ優れなかったこともあって、今日は天気が良かったにも
関わらず一日引き籠もって過ごしていた。
たまに休憩をはさみつつ作業に明け暮れていたのだが、ちょっとした時間にも頭に浮かぶのは先日、Ustreamで
見た須田一政氏のトークショーのことばかり。須田さんの言っていた「妄想」という言葉がずっと頭から離れない。

写真は何のためにあるのか?という根源的な疑問には、いまだに多くの答えが乱立しているように思うのだが
―― それは例えばジャーナリズム的な答えであったり、表現という言葉で括った曖昧な答えまでだが ―― 、
少なくとも僕にとって写真は、それそのものが重要という感じではない。
そのことはずいぶん前から気がついていて、写真はただの道具だし、カメラはその道具を作るための道具の
ようなものだと思っている。
じゃあその道具を使ってオマエは何を作るのかということが問題なのだが、悔しいことに自分が何を作れば
良いのかがいまだにはっきりしない。作り方はおおむね想像が付くのだけれど、その実体がまだ霧の中、
藪の中という感じなのだ。

トークショーで須田さんは頻繁に「妄想」という言葉を使っていたが、要するに目の前にある1枚の写真は
妄想を具現化するためのシンボルであって、写真自体には多くの意味はない。
写されていることが何より重要で、カメラはもちろんフォーマットですらその妄想を伝わりやすくするために
選んでいるという感じである。

「一枚一枚妄想のようなエピソードがある。即物的にとったものは後ろに何か違う世界があるかのような。
きっと向こう側に何かあるんじゃないかと」
そうそう、そういうことなんだよな、と僕はモニターのこちら側で思わず膝を叩いてしまった。

まあ道具に振り回されているうちはその向こう側にあるものなんて表現できっこないわけで、まずは道具と
して使い物になるのかどうかを理解するためにも使い倒すしかないんだろう。
飽きたらすぐに使うのをやめちゃえば良いんだし。

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「フィルムのこだわりなどは特にない。なくなる物を惜しむ気持ちも、最先端のものに飛びつく気もあまりない。」

自分の写真以外に興味なし。
こういう人を達人と言うんだろう。
by ash1kg | 2010-05-14 02:42 | 写真日記
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影と光、記憶と個人的な記録
by ash1kg
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