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教育テレビで、8月に東大安田講堂で催されたマイケル・サンデルの特別講義の様子を見た。 ハーヴァードでの講義をベースに、見事に日本にアレンジしてあって、時に問題を個人のレベルに矮小化し、 時に国家単位にまで議論を拡大化して問題を浮き彫りにしていくサンデル教授の能力の高さもあって、 見応えのある講義になっていた。 日本人は不慣れが故に議論が下手だというのが定説だが、今日の放送を見ていると、とても日本人が 議論下手には見えない。 機会がないだけなのかとも思うけれど、考えてみると例えば大学のような場であっても、日本の上位 下達的なタテの構造や、個人よりコミュニティを重視する中で、議論とはいえ対立する意見を真っ向から ぶつからせるということに民族的に抵抗を持っているのではないかと思う。 万事がそうだとは思わないけれど、会議なども含めて、意見を述べ合うことの重要さの本質というのは 中庸を見出したり、妥協点を探ったり、結論をまとめたりということではない。 対立は対立のままであっても互いの主張同士の距離感や差異を明確にすることに一義的な意味がある のではないか。そんな風に感じた。 「哲学の義務は、誤解によって生じた幻想を除去することである」と、イマヌエル・カントは言った。 対立や齟齬の果てに勝者と敗者を求めるためではなく、哲学にまで深化する根源的な議論には 曖昧さを排除して本質だけを取り出す効能があるのだ。 そのために必要なのはデタッチメントではなく、コミットメントであることは言うまでもない。 「関係ない」「興味ない」は禁句だと、これまでに何度も言われてきたけれど、今日、堂々と議論を交わす 出席者を見ていて、対立項があって始めて見えてくるモノもあるのだなと、つくづく思ったのだった。 恐れずに(何を恐れるのか、よくわからないけれど)個人のプレゼンスを表明していかなければ、対立も 解決も合意もない。それでは誤解によって生じた幻想が残るだけだ。
by ash1kg
| 2010-09-27 01:34
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