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It hurts me too. / もう一つの人生のこと
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人が生きていくというのは絶え間なく続く分かれ道を迷いながら進んでいくようなものだと思っている。
一方を選び続けることを迫られ、そこで留まっていることは誰にも許されない。
喜ばしい結果に行き当たったとしても、その先にはまた新たな分かれ道が待ち構え、時には選択という
原因がもたらした結果に絶望し、後悔し、しかし選び直すことのできない現実に嘆いたりするのだ。

例として自分のこれまでの人生を挙げるのはあまり適当だとは思えないが、それを承知で言うと、決定的に
選択を間違った場面が3回ほどある。結果がもたらしてくれた今が不満かどうかということはさておき(欲深で
あることを顧みれば、僕はきっといつも不満なのだろう)、選ばれなかったもう一つの人生を生きたらどうなって
いたのかと考えたくなる大きな選択の場面が3度あったということだ。
僕はその場面を今でもよく覚えているし、実際にそちらを選んでいたらどうなっていただろうと、かなり綿密に
想像してみたこともある。良い結果に行き着いたこともあったし、より悪くなったこともあった。
だが、それはどれも所詮は想像であって、人が生きていく上で毎日積み重なっていく偶然の量を考えれば、
実際に想像通りになった可能性などゼロに等しい。想像できるのはあくまで「方向」だけなのだ。

仮に、選ばれなかったもう一つの可能性を今に至るための犠牲だと呼ぶのだとしたら、それは余りに切なく、
哀しい。日の目を見ることのなかった未来の一つ一つに花を捧げ、感謝をしたくなるほどに。
でも、その一方で、僕はこうも思う。
選ばなかった道を進んだとしても、結局は今いる場所へぶつかったのではないかと。
だとしたら、今いる場所も選択されなかった未来と、いつかどこかでぶつかるかもしれない。
それが果たして良いことなのかどうか、僕には ―― 誰にもわからないけれど。

選ばれなかった道のことを想像する度に、僕は「俺だって傷ついているんだぜ」と唄うエルモア・ジェイムスの
ブルースを思い出す。
それがいかに肯定的な選択であったとしても。







古すぎで音源しかないけれど、クラプトンのカヴァーより、Keb'moのカヴァーより、
やっぱりエルモア・ジェイムスのオリジナルがいちばん響いてくる。
by ash1kg | 2010-10-10 00:08 | 写真日記
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影と光、記憶と個人的な記録
by ash1kg
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