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通奏低音
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相変わらずゆっくりと味わいながら村上春樹のインタビュー集『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』を
読んでいる。その中に「通奏低音」という言葉を見つけて、僕はしばし考え込んでしまった。

残念ながら僕はクラシック音楽に明るくも詳しくもないので、バロックで使われる通奏低音というものがどういう
ものなのかまったく説明できないのだけれど、比喩として使われるとき、僕の通奏低音とは一体何であるの
だろうと考えたのだ。

写真のみならず、言葉にしろ文章にしろ(日頃のクセや生活パターンだってそうなのかもしれない)、人が生きて
いる以上、意識的であれ無意識であれ、そこにはその人らしさというものがある。
ショー・ウィンドウのマネキンのように、誰かによって表面的に飾り付けたものであれば、そこには根源などと
いうものは存在しないのだろうが、生身の人間が「趣味」とか「好み」に則って選択を続けていれば、傍目から
見てもある種の傾向は見えてくるモノだろうし、意図的かどうかは別として、その傾向には何らかの主張がある
ように思う。

具体的に自覚はしていないものの、僕にも傾向はある。それはかなり明確なモノなのだろうとも思う。
だが、何によってそういう傾向が生み出されるのか、僕には正直判らない。
ニヒリズムでもなければセンチメンタリズムでも ―― またそれらだけの化合物でもないようにも感じてはいるが、
どれだけ考えても「これだ!」と指し示すことはできなかった。

こう書いてみると複雑な構造の何かが僕の行動を司っているようにも見えるのだが、実際のところ、僕はもっと
シンプルなもの ―― 3つ程度の音で構成された和音ぐらいのシンプルさを底流に生きているような気がするのだ。
それがどの音であるのかは、今の僕にはまったく判らないのだけれど。

TVやら何やらで目にする人たちで、「この人は格好良いなあ」と感じる人たちがいる。
それらの人たちに共通して感じるのは「自分の軸」というものの存在だ。
中心がはっきりと、しっかりとしている人に僕は魅力を感じるようだ。例えばキース・リチャーズのように、ミック・
ジャガーのように、イチローのように。
「ああ、あの人らしいよね」ということが、彼らの根源とストレートに、しかも太く直接的に結びついて、表層まで
現れている人たちは格好良いと思う。

自分の軸を確固たるものにするためには、自分の根源にあるものが何であるのか知る必要があるのだろう。
だがそれは深く深く潜って見てみないことには判らないらしい。
そして再び戻って来られる保証はどこにもない。


一昨日、散歩の途中で1本のメールを受け取った。
その瞬間、目の前にあるメールの内容とはまるっきり関係のない風景に向けて1度だけシャッターを切った。
この風景とメールは、僕の中では深く ―― 不可分と言っても良いほどに深く ―― 結びついている。
僕の中の何かがシャッターを切らせ、写しとられた写真は僕一人ににしか通用しないコードで、記憶と結び
ついてしまった。
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by ash1kg | 2010-10-23 02:03 | 写真日記
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影と光、記憶と個人的な記録
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