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昨晩は日本代表のアジアカップ制覇に叫んだ愉快な夜だった。 日本人だとか国家への帰属意識などというものが根本的に希薄なこの国にあって、サッカーの大きな 大会というのは自分が何に属しているのかという、いわば「健全なナショナリズム」を確認させられる場で あるようにも思う。 ともあれ昨晩はプチ・ナショナリストとして勝利に酔いつつも、ザッケローニ監督の采配に唖然とした夜でも あった。 どのような采配をしたのかはスポーツニュースなどの解説で詳細に語られていることだし、屋上屋を重ねて 僕がいうほどのこともないので割愛するが、決勝での選手起用の妙は熟練した囲碁や将棋の打ち手を 思わせるものだった。日本人の、しかもTV観戦ばかりの浅知恵など到底及びもしない妙手は、サッカーの 歴史を積み重ねてきたイタリア人 ―― しかも長く監督業を勤めてきたザッケローニのような人だからこそ 平然と打ちうる手だったのだと思う。知識と経験の差でこれほど違うのかと思い知らされた。 決勝のキックオフから遡ること8時間前、写真で繋がった方々の自由が丘の写真スタジオでの撮影の練習に 混ぜてもらった。 会社にいた頃に製品写真の撮影のアテンドをしていたから、ブツ撮りに関してはわずかながらの経験は 持っていたが、ブロックストロボの使い方やライトバンクやアンブレラの効果など、すべては商業カメラマンに お任せ状態だったので、知識などないも同然である。 この先もスタジオを使うような撮影はまずないと思うのだが(コンストラクテッド・フォトには踏み込まないという 意味でだが)、何に付けても知識と経験が無駄になることはないし、何より知りたいこと、試したいことがあった ので、スタジオを使わせてもらった4時間ほどの時間は実に有意義なものだった。 たった数時間やっただけで、昨日教えてもらったモノが身についたとは言い難い。 引き出しが増えるというのはいついかなる時も最適最良の手段や方法を瞬時に選び出すことができるという ことだ。この先、試行錯誤を重ねながら何度も繰り返す事でようやく自分の引き出しが増えるのだと思う。 それまでは昨日習った様々な手法/手段はただの情報でしかない。 ザッケローニ監督の采配に、知識と経験、引き出しの有無がときによってはこれほどまでに大きな差になる のだということを教えられた気がしたのだった。
by ash1kg
| 2011-01-31 01:07
| 写真日記
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