Top
節分に関するいくつかの仮説
c0123210_0574148.jpg


今年のテーマの一つは「二十四節気に敏感に生きる」としている。
節分は目黒不動に行こうと決めていたので、豆撒き式に行って護摩の煙に浄められた豆をバスケットの
リバウンドよろしく、もぎ取るようにして戴いてきた。
天気の良さに惹かれてか、境内は30分前の開場時からほぼ満員。さすがは日頃から檀家の多い名刹と
妙な感心をしていた。

さて、夜になって自宅で豆撒きをしながらいくつか思いついたことがある。
もちろん豆撒きのことについてだ。

豆撒きの由来は僧侶である伯父から教えてもらったことがある。
立春や立秋は季節の「境目」ということから、悪霊/邪気が出ると考えられていたそうで、それを打ち払う
ために豆を撒くのだと聞いた。

豆撒きと言えば「鬼は外、福は内」の掛け声だ。
悪霊や邪気にどうして豆が効くのか、その辺はよくわからないけれど、子供のいる家庭なら、お父さんが
鬼のお面をつけ、子供が豆をぶつけるなんてこともやっているだろう。
この構図が実にいろいろなことを示唆しているのではないかと思ったのだ。

鬼とは「異形なるもの」の総称だ。通常ならざるものが「鬼」なのだ。
かつて北海道を「蝦夷」と呼んでいたことは多くの人が知っているだろうが、蝦夷地とは関係なく、時代を
遡れば朝廷の権威に対抗する北方(関東以北)のグループを「蝦夷(えみし)」と呼んでいた。
桃太郎の鬼退治の話は片側の正義である朝廷が蝦夷征伐をする構造を単純化したものとも考えられる。
また、鬼ということについては天狗に代表される日本人離れした異形はまさに「鬼」の変形である。
要するに対立する2つの正義が先鋭化して衝突したとき、あるいは対立のバランスが崩れ、一方的な攻撃を
始めたときの状況を儀式化・象徴化したものが節分の豆撒きなのではないかと思ったのだ。

もちろんすべては僕の想像で、根拠はない。だがTVに映し出されたエジプトのデモの衝突のシーンがまさに
この状態そのものだった。
ムバラク支持派、反ムバラク派の双方が手にしていたのは豆ではなく、石であったが。

--------------------------------------

最近、東京でも豆撒きをする代わりに恵方巻きを食べて節分の行事にする家が増えているのだそうだ。
最初は業者と家事をする主婦の利害関係が一致することで広まったのだろうと思っていたけれど、いざ
自分が豆撒きをしてみて一つ気がついた。
確かにマンションでは大きな声で「鬼は外!」とも叫べないし、通路や1階の庭に豆を撒き散らすことなど
できない。それと比べれば、恵方を向いて無言で黙々と巻き寿司を貪る恵方巻きは実に好都合だ。

住環境の変化が風習/習慣に影響を与えるのだとしたら、現代の研究者たちは今に伝わる儀式の変遷を
考察するときの条件に付け加える必要があるよな、とこれまた意味もないことを考えた。
by ash1kg | 2011-02-04 01:36 | 写真日記
<< 曲がった首 WEB Book "... >>



影と光、記憶と個人的な記録
by ash1kg
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
My Web Site
Rm.303

Bookmarks


ash1kg - Flickriver

以前の記事
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
more...
カテゴリ
全体
写真日記
Daily Snap
Book
記録
日々雑感
写真展感想
読書メモ
Rough Side
徒歩15分の放浪
Smooth Side
寫眞萬手控
HOLGA
寫眞昔日談
写真展
Colors
Non-class
Hawaii
chicago
新宿
T01
Text Only
非公開
今日の日記
未分類
タグ
(29)
(29)
(16)
(12)
(9)
(8)
(6)
(5)
(5)
(4)
その他のジャンル
ブログパーツ
  • 写真/画像の無断使用禁止
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧