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2DKで企業の衰退とガイア仮説を想像した日
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風邪が腹に来てトイレとお友達だった一日。
写真を撮ることもなく、静かにひっそりと過ごした。

さてブログをと思ってハードディスクの中から数年前の同じ日のものを引っ張り出す。
この日は仕事帰りに歌舞伎町のスポーツジムへ行き、その後駅に戻るまでの間、40枚ほどの写真を撮ったようである。
いかにも歌舞伎町らしい喧噪な感じが写っていて、やはり写真というのは記録なのだなと思いつつ、写真選びをした。

日中、かつての同僚(今も大切な友人だ)からちょっとした連絡が来て、かつて勤めていた会社が合併すると知った。
合併に伴ってこれまでの社名は形を変えることになるらしい。
放り出されて3年も経てばすでに通り過ぎてしまったものでしかないわけで、特別な感慨もなく、あるのは合併後に起こるであろういくつかのことの想像と、「へ~そうなんだ」という抑揚のない感想だけだった。

企業というモノには賞味期限があるのだと思う。
もちろん経営手腕とか、経済状況というものも大きく影響するとは思うけれど、起こされた企業が、そのときのまま動いていると消えてしまうのは時代の変化でも、経営手腕でもなく、賞味期限なのだと思うのだ。
世に数多いる経営者達はその賞味期限を延ばすべく日夜社長業に没頭しているのではないか、僕はそんな風に思う。
仮に企業が社会に対して何らかの責任を持ち、貢献するがために存在するのならば、企業が一つの業務・業態で変化なく100年間続くということは、社会が100年間変化していないというのと同じなのだ。
よもやそんなことがあるはずもなく、企業は宿命的に変化を求められるものなのだろう。

だが、その一方で創業の志を曲げてまで変化することが果たして良いことなのだろうかとも思う。
そこまでの大きな変化が求められるのかどうかはわからないが、仮に求められるのだとしたら、もはやそれはただ生きながらえるためだけの変化というものだし、規模と対象の違う延命治療のようにも見える。
企業が社会を構成する細胞の一つであるならば、企業の勃興と衰退は新陳代謝であって、社会という生命体を支えるにはどうしても必要な出来事なのではないのかと、なんだかジェイムズ・ラヴロックのガイア仮説のようなことを考えてしまったのだった。
by ash1kg | 2012-01-14 01:09 | 写真日記
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