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昨晩から乾燥させていたフィルムを窓際に吊り下げて、朝からしげしげと見ていた。 曇り気味の冬の朝には不似合いなハワイアン・ミュージックのFM局のネットラジオをかける。 吊り下げて眺めていても何がどうなるわけではないのだが、やはりフィルムがあるというのは幸福なのだなあと感じた。 フィルムとデジタル。 どっちが写真で、どっちが写真じゃないという不毛な議論には興味がない。 デジタルは便利だし、手っ取り早いし、世に数多ある印刷物には欠かせないだろうし、今さらなくせるはずもない。 「フィルム全盛の時代は良かった」とノスタルジーに浸っていても、フィルムや印画紙が選ぶのに迷うほどあった時代はもう戻って来ない。 ではどうしてそんなご時世に今でもフィルムで撮るのかといえば、僕の場合は完全に老後の趣味の準備だ。 別に印画紙の質感がどうとか、フィルムの粒状感がどうとかという写真の表層的なことにはさして興味はない。 好きか嫌いかで言えばもちろん大好きだけれど、写真で何を伝える/表すかということでいえば、別に印画紙だろうが、1冊300円の雑誌のグラビア印刷だろうが、なんだって写真なのだ。 「印画紙では伝わるけど、印刷では伝わらない」というほど、写真は弱いメディアではないと僕は思っている。 僕がいまフィルムで撮り、ネガを作っておきさえすれば、この先、印画紙を自作してでもプリントは作ることができる。面白いもので同じネガであっても撮った直近と年数を経たあとではプリントはまったく違うモノになったりする。それは会得した技術であったり、そのときの気分での匙加減であったりするわけだけれど、まるっきり同じモノができあがることの方が珍しい(データに束縛されなければ)。この不安定さはフィルムの方に軍配があがるだろう。 30歳や40歳のときに撮ったネガを70歳の自分が焼く。 老後の趣味としてはなかなかエレガントではないかと。 撮る緊張感や現像する愉しさなど、デジタルにはないモノがフィルムにあるのも確かだけれど、フィルムの一番の愉しさは、たった一つのカットが長い時間の中で何度も楽しめることにあるように僕は思うのだ。 以上、未現像のフィルムがたっぷりあることと、現像済みのネガをすぐにプリントしない言い訳でした。
by ash1kg
| 2012-01-15 22:07
| 写真日記
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