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便利なことが良いことだとは限らない話。
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あくまでデジタルデータ ―― つまりは正体があるようでなさそうなあやふやなもの ―― としての活用の域を出ないのだけれど、WEBサイトのコンテンツとして試してみたいことがあって、先日からせっせとInstagramに写真をアップしている。

先日も書いたことだけれど、iPhoneに何か写真的な意義を見出すとしたら、一義的には世界で初めてほぼ同一の見え方を提供したことにあるように思う。だが、その一方で、過度にきれいに見えるこの環境が果たして良いことなのかどうか、ちょっと考えてしまうところもある。

iPhoneで撮ったデータにエフェクトをかけてアップする。そのデータをPCに移して見てみると、およそ他では使い物にならない汚い画像になっているということが良くある。エフェクトをかけない画像はコンデジと比べても遜色はないが、あのエフェクトとというのはいただけない。
だが、ユーザーの多くはあのエフェクトにこそ面白みを感じているのだろうし ―― それは自分好みの写真を選びつつ作れるという手軽さも含めてのことだ ―― 僕もそれ自体が写真的ではないとか、間違っているとは思わない。だって本当に手軽だし、手軽なものに人が集まるのは道理だ。

ただ一つだけ思うのは、写真を撮ることをiPhoneで始めたという人が出てきたとしたら、のちのちトリビアルに、ヒストリカルに写真を経験していこうとしたときには、スタートが実は最大の障害だったということになるんじゃないかということだ(これはMacBookにも共通して言えることでもあるのだが)。
なにしろ自分の手の中にある一番身近な物で他の何よりもきれいな写真を見ることができるのだから、わざわざ手間暇掛けてそれ以下の写真を創る行為に手を染めないんじゃないかと危惧してしまう。

もちろんiPhotographerなんて言い方が出てくるような現状では、僕の考えていることはすでに時代遅れのたわごとである可能性もある。だが僕から見ると、iPhoneの写真のようなものというのは、入り口としては限りなく敷居が低く、突き詰めるにはあまりに距離が遠い物のように見える。
もっとも、いちばん身近にあり、いちばん手軽に使え、なおいちばんきれいに見せてくれるというのだから、産業製品として優秀であることは間違いない。
だが、えてして敷居の低さ、過度の便利さというのは何かを突き詰めていくこととは真逆にあるような感じがする。根拠がないので、あくまで予感だが。
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by ash1kg | 2012-02-19 01:14 | 写真日記
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影と光、記憶と個人的な記録
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