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作品展二つ/普遍的なこと
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外出のついでで申し訳なかったけれど、今日は二つの作品展にお邪魔してきた。
一つはこの珍しい名字を持つという共通点のあるフェイスブックでお付き合いのある狐塚さん一門の書の作品展、もう一つは森岡書店で開かれている「久保友作 + 山田浩之 二人展」。
初めて知ることが多くて、有意義な訪問になった。

狐塚さんの一門展では書の見方を教えていただいたのだが、その要諦は「密度と余白のバランス、計算された抑揚、堂々とはみ出す勢い。そしてたくさん書くこと」。
まるで写真のようではないかと思いつつ、ギャラリーを出て歩きながら咀嚼をしているうちに、これは書や写真に限ったことではないと気付いた。絵でも映画でも物語でも、それどころかスポーツでも音楽でも、料理ですら通じることじゃないかと。
それどころか人生にすら通用する原則かもしれない。

森岡書店では画家の久保さんが在廊されていたので、しばらく話をさせてもらう。
作品作りのこと。手帳に描かれることになったいくつかの理由。
大阪出身の物腰の柔らかい口調の中にも、モチベーションが強く保たれている理由が口をつき、彼は絵、僕は写真という違いはあれど、少なくない共通点をみつけて、僕は嬉しくなってしまった。

展示の中に印画紙を画材として作られた作品がある。
それは紛れもなく「作品」なのだけれど、それが写真であるのか、絵画であるのか、僕ははたと困ってしまった。
だが本当は困る必要などないのだろうと思う。
そもそも困るということ自体、自分がいかに先入観に囚われているかの証左なのだ。

なにがしかの部分では「写真」とか「絵画」とか「書」というカテゴリー分けは必要なのかもしれない。
だが、それは作り手とは関係のないところで、必要な誰かが必要に迫られてすることであって、作り手自らが自分の入る箱を選ぶ必要などこれっぽっちもないのだ。

開発技術が進化した今、写真を撮ることはさほど難しいことでも、特別なことでもなくなった。
昔と比べれば「撮れてしまう」写真も多くなっていることだろうし、フロックの頻度も高くなっているはずだ。
もしかしたら極めて高品質なフロックそのものを再生産することすら可能かもしれない。
だからこそもっと自由で良いのだと思うし、自由であるべきだと思う。
自ら望んで囲まれたワクの中に安住し、まるで似合わない制服のようにマットを掛けられ、額装されたのでは窮屈になるだけだ。
すっかり日が伸びた夕方の街を歩きながら、僕はそう思った。
by ash1kg | 2012-02-22 00:50 | 日々雑感
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