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長嶋茂雄について語るというのは僕にとっては父を語ることと同義で、それほどに我が家において長嶋茂雄という存在は特別であり、特殊だった。 前にも書いたことがあるけれど、父は高校まで野球をやり、立教のセレクションに身長が足りずに落ちたという経験がある。それが理由とは思わないけれど、長嶋という存在は父の中では特別なものだったんだと思う。 同時代的に長嶋茂雄という存在は日本においてかなり特殊で、当時も贔屓のチームの相手としては憎むべき選手であっても、人間長嶋はなんとなく許容されていたんじゃないだろうか。我が家ではそうだった。 崇拝されるわけでもなければ、全肯定されるわけでもなく、何ごとにつけても「まあ長嶋さんだもんね」とか「長嶋だからしょーがないよね」みたいになんとなく許容されてしまう、そんな存在だった。 国民栄誉賞は時の総理大臣が好き勝手に贈れるわけで、そこにはいつも明確に政治的意図があるわけだけれど、長嶋さんの受賞は長嶋の明るさ ―― それはある意味、植木等が振りまいた脳天気な明るさに通底するモノがあるのではないかと推察している ―― とともに高度経済成長期を支えた多くの人たちにとってはかつての自分を公に肯定されるような感覚があるのではないかと思う。 少なくとも授賞式のあとに父に電話をしてみたときには、まるで自分の身内が表彰されたような上気した感じがあった。 価値観はもちろん、娯楽もスポーツもライフスタイルも多様化した中で、往時の長嶋茂雄的な広汎から衆目され許容される存在というのは恐らく出現しづらくなっているはずだ。そういう社会的要請も幾分減ってきているのかもしれない。でも同時代的アイコンというか、シンボル的な存在の不在というのは後々効いてくるボディブローのように徐々に欠落感をもたらすのではないかと思う。 この先そういう存在になり得るかもしれないと僕の頭に浮かぶのは山口百恵と小泉今日子ぐらいのものだ(なんだか違う気もするなあ)。
by ash1kg
| 2013-05-06 01:24
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