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「井上雄彦 最後のマンガ展」を観に行く
「井上雄彦 最後のマンガ展」を観に行く_c0123210_0552017.jpg


うまく消化しきれていないので、感想などはまた後日。
ただ写真を展示することを考えるには、間違いなく必見の作品展であった。
どうにかしてもう一度観に行く機会を作りたいほどに。

(6.18. 追記を加えました)



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最初に言い訳のように断っておくが、僕は漫画を読まない。読んだことがないのではなく、漫画を
読む習慣をすでに無くしてしまっているということだ。
だから井上雄彦の名前も、バガボンドというマンガがあることも知っていたが、床屋の待ち時間の
間に読んだという程度の予備知識しかなかった。これがすべての前提だ。

写真と向き合うことについて、僕には2年のブランクがある。歴書を学ぶに当たって写真とは何なの
かという根元的な問題に目処を付けなければ先に進めなくなったのが原因だった。
そうして禅僧のように考え続けていたあいだに浮かんだささやかな疑問。「なぜ写真家は喰える
商売にならないのか」。

小説家や漫画家は書きたいモノを書き、ミュージシャンは歌いたいモノを歌い、写真家は撮りたい
ものを撮る。しかし(何度も書くけれど)写真集で初版30万部なんて聞いたことがない。
漫画雑誌は400万部売れ、小説は初版で30万部が作られ、CDは100万枚が買われていくのに、
写真集は5万部売れるとニュースになる。なぜか。なぜ人は写真集を買わないか。
写真が喰える商売に、売れるようになるためにはどうしたら良いのか。僕はそちらも考えることに
なった。

そして昨日、一つの答えを見た。それが「井上雄彦 最後のマンガ展」だ。
写真集が売れず、マンガが売れる理由がここにすべてある。

報道にしても自己表現と呼ばれるものにしても、もっとも重要なのは「伝える」ということだ。
正しく、誤解なく、伝えるべきことを伝える。小説も音楽もマンガ(玉石混淆かもしれないけれど)も
そのための道具でしかない。写真も同じこと。僕はそう思う。

和紙に墨で描かれた巨大な絵の1枚1枚はマンガの一コマに過ぎないにもかかわらず、どの絵も
伝統的な日本画の延長にあるような、それでいてまったく新しいものであるような迫力のあるもの
だった。しかもどの絵も1枚でもちゃんと成立する。それでいて1枚の絵は全体を構成する一部で
しかないのだ。
かくして上野の森美術館の内部全体を一つの作品としてしまった今回の作品展は、インスタレー
ションとしてもまったく新しいものになっていた。しかもそれは日本の伝統を引き継ぐ傍らで、マンガ
という新しい文化でもあるのだ。

これまで写真家達が数知れないほどの量の写真を撮ってきた。だが写真集にしても、写真展に
しても「オレはこれが言いたいのだ!」ということをここまでしっかりと伝えようとした、受け取る側も
迷うことなくその意志を受け取ることができた作品展を観たことがない。理解などという陳腐な言葉
ではなく、まさに体感しているうちに勝手に意図が受け渡される、そんな感じだ。
次の1枚への移動、隣の壁面に振り返る動作、すべては計算された上で配置され、百数十枚の
絵で綴られていく物語はクライマックスに近づいていく。

そして、大きな絵が掲げられた物語の最高潮の場面で涙腺が緩みそうになった。展示されている
絵(=マンガ)で表現された物語に気付かない間に感情移入させられ、僕には作者が伝えたいと
思っていたであろうことをしっかりと受け取った感覚があった。そして物語の最後。僕以外は誰も
いない光で満ちた空間で僕はとうとう少しだけ涙を流した。
写真はここまで真剣に展示をしたことがあったのか。同じ平面の視覚表現である写真に果たして
ここまでのことができるのか。嫉妬と羨望、それに確信とが入り交じる混沌とした状態の中で、
そんなことを考えながら僕は会場を後にした。

井上雄彦が優れたストーリーテラーであると同時に、優れた日本画家であることは展示を見れば
誰もが納得することだ。その上でストーリー性、文字・言葉、タブローとしての作品的価値を同居
させ、意図を観覧者全員に同一に同質に伝えているとんでもない作品展だった。

会期は短く、ここまで計算をしつくしての展示では会場を移しての巡回展もほぼ不可能だろう。
このまま世界のどこに持っていっても通用するし、賞賛されるであろう作品展だが、そういう意味
ではタイトル通り「最後の」展示となるはずだ。
いろいろな作品展で「感じる」という言葉が軽く使われているが、本当に「体感する」というのはこう
いうことなんだよ、と僕が展示しているわけでもないのに図々しくも胸を張りたくなる。世界のどこ
からでもこの展示を観るためだけに東京に来ても惜しくない。素直にそう言い切ることができる
展覧会などそうそうあるものではない。
本当にどうにかして会期中にもう一度みたい。心からそう思う。

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館外に貼られたバーコードを読み取ることで、感想をメールすることができるようになっている。
僕も短いながら素直な感想を書き送った。
そして今日、自動リプライの返信が届いた。

『先日は「最後のマンガ展」に足をお運びくださいましてありがとうございました。
すべてを描き終えて、「最後」の意味はどうやら、「心の中心にあるもの」で、つまりは「今」という
ことだと気がつきました。
いつも「最後」を心に置いて生きることが、人を強くし、やさしくするのでしょう。
あなたの心にもあるその場所が、これからもあなたに日々を生きる強さと、やさしさをもたらして
くれますように。

井上雄彦』


「貴方が最後に帰る場所はどこですか?」

冒頭に投げかけられたこの問いに対する答え。それはそのまま僕が僕以外の誰かに伝えるべき
何かなのであろう。
どうすれば伝えられるのかはその後のことだ。
by ash1kg | 2008-06-18 00:58 | 写真日記
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影と光、記憶と個人的な記録
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